五却山法蔵寺|新宿区若葉にある浄土宗寺院
法蔵寺の概要
浄土宗寺院の法蔵寺は、五却山思惟院と号します。法蔵寺は、兵庫頭松平親良(元和9年没)が三州法蔵寺の寺號を移して、大譽永蓮和尚を請して天正19年(1591)開山したといいます。
山号 | 五却山 |
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院号 | 思惟院 |
寺号 | 法蔵寺 |
住所 | 新宿区若葉1-1-6 |
宗派 | 浄土宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
法蔵寺の縁起
法蔵寺は、兵庫頭松平親良(元和9年没)が三州法蔵寺の寺號を移して、大譽永蓮和尚を請して天正19年(1591)開山したといいます。
「四谷區史」による法蔵寺の縁起
五却山辨財院法蔵寺は、四谷法蔵寺横町にある増上寺末の浄土宗である。境内九百六十八坪は拝領地で、天正十九年辛亥の起立である。兵庫頭松平親良が三州法蔵寺の寺號を移して、大譽永蓮和尚を請して開山とした。當時の寺地は表四谷通から裏は東福院の邊までに及ぶ廣大な面積を有したが、寛永年中用地として公収せられ、既に廢寺にも及ぼうとしたのを、開基三代目の松平甚三郎の盡力で焼場の地所に寺を建立した、これが今の境内である。法蔵寺横町と俚俗に稱したのを見ても、古昔の巨刹であつたのは想像するに難くない。今は南伊賀町に成つて居る。開山乗蓮社大譽永蓮の寂年は慶長十九年甲寅八月二日、開基松平親良は元和九年癸亥七月八日に歿した、法名松林院殿前從四位光譽善芳大居士。(「四谷區史」より)
「四谷南寺町界隈」による法蔵寺の縁起
若葉1丁目1番地6(元は四谷区南伊賀町89番地)浄土宗増上寺末にて、五却山思惟院という。江戸砂子には弁財院と記すゆえ弁財天ありしものか、今はなし。
初めは三河国大樹寺末にて、開山は乗蓮社大誉聖人(慶長19年甲寅8月2日寂)、三河西松平福釜氏(十八松平の一、今福鎌氏と書き、三河福釜の出にて福篭とも書く)家康の異腹松平兵庫頭親良、天正19年に三河法蔵寺を江戸に移して、兵庫頭の自邸に開いたというのが始まりである。法蔵寺が江戸へ来て、増上寺末と変わったものと思われる。
このことは「再校江戸砂子」に簡明に載せてあるので、一応それを再記してみると、
当寺は三州四谷(この地名は原本筆者の誤り、福釜なり、福釜は三河国碧海郡安城町福釜、今安城市なり)、法蔵寺のうつし也。天正19年(1591)、開基松平兵庫頭やしきの内にあり。開山乗蓮社大誉和尚。当寺境内表通り町より、さめか橋まで寛永年中御用地となる。住持の僧替地を願はざるにより、すでに退転に及ぶべき所、
開基の三代目松平甚三郎の再願尽力により焼場所の地所跡に建立した。これが今の境内である。
「東都伽藍記」には968坪とある。この寺の前の坂を法蔵寺坂といい、或いは法蔵寺横丁の地名が付けられている。(四谷南寺町界隈より)
法蔵寺の周辺図