常善院|足立区大谷田にある新義真言宗寺院

猫の足あとによる東京都寺社案内

典勇山常善院|新四国四箇領八十八ヵ所

常善院の概要

新義真言宗寺院の常善院は、典勇山神勝寺と号します。常善院は、宇田川出雲が開基となり元和年間(1615-1624)に創建、江戸時代には、将軍家の鷹狩りの際、御膳所ともなっていた他、末寺2寺を擁した小本寺格だったといいます。西新井組中川通四箇領八十八箇所9番札所です。

常善院
常善院の概要
山号 典勇山
院号 常善院
寺号 神勝寺
住所 足立区大谷田1-33-15
宗派 新義真言宗
葬儀・墓地 -
備考 -



常善院の縁起

常善院は、宇田川出雲が開基となり元和年間(1615-1624)に創建、江戸時代には、将軍家の鷹狩りの際、御膳所ともなっていた他、末寺2寺を擁した小本寺格だったといいます。

新編武蔵風土記稿による常善院の縁起

(大谷田村)常善院
これも金蓮院末、曲勇山神勝寺と號す、古は田中山と稱せしと云、本尊古は行基の作れる不動を安ぜり、今は大日を本尊とす、當寺は農民木工左衛門と云ものの先祖、宇田川出雲と云もの開基せり、大凡二百年前に開けし寺なりと云、時は元和の頃起立なるにや、又此邊しばしば御放鷹の地なれば、享保年間有徳院殿御立寄あらせられ、御當代に至りても寛政元年十一月五日御膳所となれり。(新編武蔵風土記稿より)

足立区教育委員会掲示による常善院の縁起

当寺は、元和年間(1615-1624)宇田川出雲によって創建されたという。江戸時代には、将軍家の鷹狩りの際、御膳所となった由緒ある寺である。 本堂は享和元年(1801)に再建、昭和35年に修復されている。 本尊は、木造不動明王立像、その左に木造金色大日如来像、右に上品上生の阿弥陀如来坐像が安置されている。 境内には、石像物としては非常に珍しい石造六面幢六地蔵をふくむ地蔵群がある。また、高さ25mのイチョウの木は、樹齢およそ三百数十年といわれている。 寺行事として、2月15日に涅槃会、3月28日には大般若会を催し、除災招福のため大般若経600巻(鉄眼版)の転読、護符の配布などが行われている。(足立区教育委員会掲示より)

足立風土記資料寺院明細による常善院の縁起

中本寺金蓮院末 東京府管轄武蔵国足立郡長右ヱ門村 典勇山 小本寺常善院
創立年歴并開基不詳、色衣香衣ニ色寺格
世代不詳住職憲孝壬申53歳。愛知県管轄尾張国海東郡甚目寺村農水野甚助二男、文政12年3月12日同国同郡同村法華院ニ而得度、天保8年正月27日本山智積院へ交衆、同年5月7日東京府管轄武州葛飾郡金町村了観寺(柴又良観寺か?)住職、天保14年7月13日埼玉県管轄同国同郡長沼村(現三郷市)正円寺住職、嘉永3年5月20日東京府管轄同国同村下小合村延命寺住職、慶応3年6月3日当院住職、本山年数17年。以上僧壱人。
境内 1反4畝11歩、但シ除地
檀家 112軒
門徒 2ヶ寺(大谷田瑠璃山東明院・大谷田仏性山浄覚寺いずれも明治7年12月廃寺)
庵室等無之(足立風土記資料寺院明細明治5年項より)

常善院の周辺図