法護山金蓮院|葛西三本寺の一、水戸徳川家の祈願所、新四国四箇領八十八ヵ所
金蓮院の概要
真言宗豊山派の金蓮院は、法護山金剛寺と号します。金蓮院は、永正年間(1504-20)賢秀和尚が創建、天正19年(1591)には徳川家康から寺領10石の御朱印状を受領、近郷に末寺門徒寺37ヵ寺を擁した本寺格の寺院で、水戸徳川家の祈願所ともなっていました。西新井組中川通四箇領八十八箇所31番、東三十三所観音霊場11番です。
山号 | 法護山 |
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院号 | 金蓮院 |
寺号 | 金剛寺 |
住所 | 葛飾区東金町3-23-13 |
本尊 | 金剛界大日如来像 |
宗派 | 真言宗豊山派 |
葬儀・墓地 | 墓地販売中 |
備考 | 金町保育園併設 |
金蓮院の縁起
金蓮院は、永正年間(1504-20)賢秀和尚が創建、天正19年(1591)には徳川家康から寺領10石の御朱印状を受領、近郷に末寺門徒寺37ヵ寺を擁した本寺格の寺院で、水戸徳川家の祈願所ともなっていました。
新編武蔵風土記稿による金蓮院の縁起
金蓮院
新義真言宗、山城国醍醐三宝院末、法護山金剛宝寺と号す。門末三十七ヶ寺の本寺にて、寺領10石は東照宮より附せられしが、享保3年焼失せしを願ひ上て、同7月11日先規に任せて御朱印を賜ふ。開山賢秀、中興の僧を實盛と云、延宝5年12月3日寂せり。本尊大日を安す。
什宝。弘法大師自画像。
護摩堂。
太子堂。
鐘楼、萬冶2年鋳造の鐘をかく。(新編武蔵風土記稿より)
葛飾区寺院調査報告による金蓮院の縁起
永正年間(1504-20)賢秀和尚によって創立。旧門末30余ヵ寺をもった本寺格の寺院である。天正19年(1591)徳川家から10石の朱印状を受けた。寛永19年(1642)火災のため一時荒廃し、万治元年(1658)僧実盛が再興して中興開山となる。享保3年(1718)再び炎上し、本堂および多くの寺宝を失ったが、元文元年(1736)復興した。寺宝の弘法大師画像は、寛永以来のいくたびかの火災の都度、自ら火中から舞い上って境内の巨木にとどまって災害をのがれたので、<火伏せの大師>と呼ばれたという。また境内の大羅漢樹(コウヤマキ)は樹高役9.6、幹囲2.7、枝張11-15メートルを算し、天然記念物として区の文化財に指定されている。(葛飾区教育委員会 葛飾区寺院調査報告より)
葛飾区に現存する金蓮院の末寺
金蓮院の末寺はもと37ヵ寺といい、葛飾区に8ヵ寺が現存しています
「新編武蔵風土記稿」に記載されていて、現存しない寺院は、下小合村の竜蔵寺(1532年創建)、金町村の吉祥院(葛西神社の別当)、金町村の不動院、金町村の鷲性院の4ヵ寺です。
廃寺となった吉祥院について
(葛西神社)別当吉祥院
新義真言宗、村内金蓮院末。龍香山と号す。本尊十一面観音は香取の本地佛なり。
薬師堂。
寺宝。
御茶碗一。東照宮御放鷹の時当社へ御腰を掛させ給ひ、御茶を召上られし器なりと云。
浅野長吉所出古文書一通
当所江、御朱印取次候而遣候間、狼藉候族有間敷候、若違犯之輩於有之者、此方へ可申来候也。
浅野弾正少弼長吉花押、卯月29日
笠井三十三郷之内
いいつかむら さるかまた村 こわいむら かなまち村 しはまた村(新編武蔵風土記稿より)
廃寺となった金町村の不動院・鷲性院について(観蔵寺は現存)
不動院。
本尊不動。
観蔵寺。
本尊正観音。
鷲性院。
本尊大日。 (新編武蔵風土記稿より)
金蓮院の葛飾区指定文化財一覧(有形民俗文化財)
- 金蓮院愛染明王石像
- 金蓮院のラカンマキ
金蓮院の周辺図