氷川山金蔵寺|荒川辺八十八ヶ所、荒綾八十八ヶ所
金蔵寺の概要
真言宗豊山派寺院の金蔵寺は、氷川山地蔵院と号し、建武2年(1335)の創建と伝えられます。荒川辺八十八ヶ所霊場46番札所、荒綾八十八ヶ所霊場84番札所です。
山号 | 氷川山 |
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院号 | 地蔵院(閻魔院) |
寺号 | 金蔵寺 |
住所 | 足立区千住2-63 |
本尊 | 閻魔大王 |
宗派 | 真言宗豊山派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | 荒川辺八十八ヶ所霊場46番札所、荒綾八十八ヶ所霊場84番札所 |
金蔵寺の縁起
足立区教育委員会掲示による金蔵寺の縁起
当寺は真言宗豊山派で、氷川山地蔵院(または閻魔院ともいう)と号す。本尊は閻魔大王で、建武2年(1335)3月の創建という。
金蔵寺の門を入ると左側に2mほどの無縁塔がある。これは天保8年(1837)に起こった大飢饉の餓死者の供養塔で、千住2丁目の名主永野長右衛門が世話人となり、天保9年(1838)に建てたものである。
碑文によれば「…飢えで下民に食なし…この地に死せる者828人…370人を金蔵寺に葬り…」とある。
その塔と並んで建つ別の供養塔は、千住宿の遊女の供養塔で、この地で死んだ遊女の戒名が石に刻まれている。
千住宿には、本陣・脇本陣のほかに55軒の旅籠屋があり、そのうち、食亮旅籠(遊女屋)が36軒あった。江戸後期には宿場以外に江戸近郊の遊里として発達した。そのかげで病死した遊女は無縁仏同様に葬られたその霊を慰めるための供養塔である。(足立区教育委員会掲示より)
新編武蔵風土記稿による金蔵寺の縁起
(千住町ニ町目)(氷川社)別當金蔵寺
これも吉祥院の門徒なり、氷川山地蔵院と號す、閻魔を本尊とす。(新編武蔵風土記稿より)
足立風土記資料寺院明細による金蔵寺の縁起
小本寺吉祥院門徒 東京府管轄武州足立郡千住宿 氷川山 金蔵寺
創立建武2年正月、恵龍開山、寺格無之
但住職無之、東京府管轄武州足立郡千住宿不動院明雲建武。
境内、但除地、1反9畝8歩。檀家20軒。庵室無之。
金蔵寺の周辺図