甘露山阿弥陀院|荒綾八十八ヶ所
阿弥陀院の概要
真言宗智山派寺院の阿弥陀院は、甘露山安養寺と号します。阿弥陀院は、天明2年(1782)に創建したといいます。荒綾八十八ヶ所霊場51番札所です。
山号 | 甘露山 |
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院号 | 阿弥陀院 |
寺号 | 安養寺 |
住所 | 足立区鹿浜7-19-7 |
本尊 | 阿弥陀如来 |
宗派 | 真言宗智山派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | 荒綾八十八ヶ所霊場51番札所 |
阿弥陀院の縁起
阿弥陀院は、天明2年(1782)に創建したといいます。
新編武蔵風土記稿による阿弥陀院の縁起
阿弥陀院
甘露山と云、これも本尊は弥陀なり(新編武蔵風土記稿より)
足立風土記史料寺院明細による阿弥陀院の縁起
寶蔵寺門徒 東京府管轄武州足立郡鹿浜村 耳露山宝蔵寺。
創立年暦・開基不詳、寺格無之。
看住興全、24歳。埼玉県管轄武州葛飾郡彦野村農恩田安五郎三男、明治元年10月20日武州豊島郡上板橋村於西光寺得度、明治4年2月9日入寺。
境内、4畝10歩。但除地。
檀家3軒、庵室無之。(足立風土記史料寺院明細より)
足立区佛教会資料による阿弥陀院の縁起
阿弥陀院の創建は天明2年(1782)とされる。
本尊の阿弥陀如来像は、恵心僧都の作と伝えられている。また、側仏としても奉安されている閻魔大王坐像は寺宝でもあり、古くは1月、7月の16日には護摩法会が行われ、閻魔参りがあった。
境内地には、寛文元年(1661)の庚申塔、元禄2年(1689)の墓碑、成田山不動講の不動堂などがあり、不動会はいまでも毎年の正月、5月、9月の28日には町内の信者が集まり、供養を行っている。とくに5月28日の不動会は、足立区の無形民俗文化財であるところの百万遍の行事が残っており、直径4-5mに及ぶ大数珠を回しながら「南無阿弥陀仏」を唱え、信者の信仰を一心に集めている。
昭和40年に、本堂および庫裡の改築を行い、鉄筋コンクリートの2階建とした。そのときに境内の整備を行い、無縁塔の移動のさい、なかより宝篋印塔1基や板碑などが出て、寺宝としている。(足立区佛教会資料より)
阿弥陀院所蔵の文化財
- 百万遍の行事(足立区無形民俗文化財)
阿弥陀院の周辺図