如意山延命寺|荒綾八十八ヶ所、新四国四箇領八十八ヵ所
延命寺の概要
真言宗豊山派寺院の延命寺は、如意山普門院と号します。延命寺は、法印有慶が延慶2年(1309)創建したと伝えられ、河内輿兵衛が中興開基したといいます。荒綾八十八ヶ所霊場の第13番、西新井組中川通四箇領八十八箇所85番札所です。
山号 | 如意山 |
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院号 | 普門院 |
寺号 | 延命寺 |
住所 | 足立区竹の塚5-26-14 |
本尊 | 延命地蔵菩薩 |
宗派 | 真言宗豊山派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | 荒綾八十八ヶ所霊場13番札所 |
延命寺の縁起
延命寺は、法印有慶が延慶2年(1309)創建したと伝えられ、河内輿兵衛が中興開基したといいます。
新編武蔵風土記稿による延命寺の縁起
(竹塚村)
延命寺
総持寺の門徒なり、以下の二ヶ寺みな同じ。如意山普門院と云、則延命地蔵を本尊とす、當寺も河内輿兵衛が開基なりと云、それど客殿に安置する聖徳太子の胎中の文によれば、古き寺にて、輿兵衛は中興の開基なるべし、其文に
奉新造立聖徳太子 須賀苗字檀越 本願主浄厳
延慶二巳酉九月吉日 臼倉苗字檀越 當寺開山法印宥慶
再建天文廿年九月
これ證とすべきか、されど近き此彩色の時、住僧の見しままにて、今現に見ること能はざれば、何れとも断じがたし。(新編武蔵風土記稿より)
足立区教育委員会掲示による延命寺の縁起
当寺は延慶二年(一三〇九)開創で、開山は法印宥慶と伝えられる真言宗豊山派の古刹である。
本尊は延命地蔵菩薩で、南北朝後期の作と推定される。他に天文二十年(一五五一)の造立銘のある聖徳太子立像・鎌倉風の手法を受ける弘法大師坐像・もと薬王寺の本尊といわれる薬師如来立像などすぐれた仏像が安置されている。
当延命寺の山門(如意門)は昭和五十一年、新潟県佐渡より移建されたもので、宝暦四年(一七五四)、飛騨高山の名工梶原某の創建と伝えられる。一間一戸の薬医門で総欅造、屋根は切妻造、正面に軒唐破風が付く。複雑に組み上げられた構築と随所に施された装飾彫刻は見事である。特に欄間の迦陵頻伽・内法貫の龍・木鼻の獅子や獏などは秀逸である。
移築にあたり門の主要部、彫刻などすべてが旧態のまま復元され、江戸中期の古建築として貴重な文化財である。(足立区教育委員会掲示より)
足立風土記資料寺院明細による延命寺の縁起
中本寺西新井大師総持寺末 東京府管轄武蔵国足立郡竹塚村 如意山延命寺
創立年暦并開山不詳、香衣一色着用寺格
第30世快如、壬申28歳。東京府管轄武蔵国足立郡伊興村農山崎佐太良二男、安政5年12月21日右西新井大師総持寺於得度、明治3年6月10日入寺、大和国小池坊留学11ヶ年。以上僧一人。
境内、1反4畝歩、但除地。檀家、54軒。門末、無之。庵室等、無之。
延命寺の周辺図