蘓悉地山宝蔵寺|荒川辺八十八ヶ所
宝蔵寺の概要
新義真言宗寺院の宝蔵寺は、蘓悉地山金剛院と号します。宝蔵寺は、梅若丸の母の四人の従者が土地の守り神として北三谷に一宇を建てたのがはじまりと伝えられます。荒川辺八十八ヶ所霊場55番札所です。
山号 | 蘓悉地山 |
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院号 | 金剛院 |
寺号 | 宝蔵寺 |
住所 | 足立区東和2-5-24 |
宗派 | 新義真言宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | 美松学園幼稚園併設、荒川辺八十八ヶ所霊場55番札所 |
宝蔵寺の縁起
宝蔵寺は、梅若丸の母の四人の従者が土地の守り神として北三谷に一宇を建てたのがはじまりと伝えられます。
「ブックレット足立風土記東淵江地区」による宝蔵寺の縁起
宝蔵寺(東和2−5)
梅若丸の母の四人の従者が土地の守り神として北三谷に一宇を建てたのがはじまりと伝えられる新義真言宗のお寺。なお、梅若丸の母妙亀尼の墓と伝承される妙亀塚は台東区橋場にある。(「ブックレット足立風土記東淵江地区」より)
新編武蔵風土記稿による宝蔵寺の縁起
(北三谷村)宝蔵寺
新義真言宗、葛飾郡青戸村寳持院末、稲荷山金剛院と號す、本尊毘沙門を置く、開山貞祐とのみ傳へり。
観音堂。地蔵堂。(新編武蔵風土記稿より)
足立風土記資料寺院明細による宝蔵寺の縁起
小本寺宝持院末 東京府管轄武州足立郡北三谷村 稲荷山宝蔵寺
創立年月并開山不詳、香衣一色寺格
第15世住職照仙、壬申28歳。埼玉県管轄武州葛飾郡丹後村農伊原民蔵四男、安政5年5月15日印旛県管轄下総国埴生郡成田村新勝寺エ於テ得度、明治5年2月7日右寺エ入寺、本山智積院年数6ヶ年。以上僧一人。
境内、2反1畝歩。檀家、72軒。門末并庵室無之。(足立風土記資料寺院明細明治5年項より)
宝蔵寺の周辺図