荘厳山清徳寺|両国矢ノ倉に創立、昭和8年に当地へ移転
清徳寺の概要
浄土宗寺院の清徳寺は、荘厳山功徳院と号し、慶長16年(1611)両国矢ノ倉に創立し、正保元年(1644)浅草に移転、昭和8年に当地へ移転しました。江戸時代には寺中に2院を擁していました。
山号 | 荘厳山 |
---|---|
院号 | 功徳院 |
寺号 | 清徳寺 |
住所 | 足立区谷在家3-28-8 |
宗派 | 浄土宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
清徳寺の縁起
清徳寺は、慶長16年(1611)両国矢ノ倉(矢之庫稲荷神社、薬研堀不動院の附近)に創立し、正保元年(1644)浅草に移転、昭和8年に当地へ移転しました。江戸時代には寺中に2院を擁していました。
足立区仏教会資料による清徳寺の縁起
慶長16年(1611)心誉善覚和尚、両国矢ノ倉に起立造寺し、正保元年(1644)浅草に移る。文化3年(1806)3月江戸の大火により類焼、大正12年9月関東大震災のため本堂・庫裡・山門・鐘楼など、ことごとく焼失す。
昭和4年12月2日、移転許可を得て現在地に移転し、昭和8年4月、移転完了提出。
先代22世信保上人、昭和10年、本堂新築。当代23世信興、昭和41年12月、庫裡改築、昭和53年11月、山門建立、現在に至る。
草創よりこのかた376年になる。
足立風土記資料寺院明細による清徳寺の縁起
江戸芝増上寺末。浅草新寺町 荘厳山浄岳院清徳寺、境内古跡拝領地840坪。
慶長16年起立ニ而元地所谷野倉ニ御座候所、正保元年当所へ地所替被仰付候。
開山専蓮社心誉上人唱阿善覚和尚、生国奥州会津、姓氏白川常世。上州小島哀愍寺開山霊誉弟子。寛永5年9月13日遷化。
本尊阿弥陀如来木像、長2尺2寸坐像。 大鐘1口。寛保2年8月、檀方池宮氏為亡妻専亮院追資鋳造之。
醴地蔵、小野篁作。明和9年類焼後再建無之。此腹篭と称し候。地蔵小像有之候。
寺中宝山院、貞松院右二ヶ院有之候処、年月不知畳置候よしニ御座候。
往古門前町家有之候よし申伝候得とも当時無御座候。以上乙酉書上。(御府内寺社備考より)
清徳寺の周辺図