極楽水|文京区小石川の史跡

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極楽水|小石川七福神の弁財天

極楽水の概要

極楽水は、文京区小石川にある名所史跡です。極楽水は、了誉聖冏上人が伝通院の前身となった庵を応永22年(1415)当地に草創、龍に仏法を授けた報恩として名水を授かったと伝えられる湧き水です。当地はもと宗慶寺境内でしたが、明治39年刊行の新撰東京名所圖會の頃には松平播磨守侯の地となっていたようです。小石川七福神の弁財天が祀られています。

極楽水の概要
名所旧跡名 極楽水
みどころ -
入場時間 -
入場料 無料
住所 文京区小石川4-16小石川パークタワー境内
備考 -



極楽水について

極楽水は、了誉聖冏上人が伝通院の前身となった庵を応永22年(1415)当地に草創、龍に仏法を授けた報恩として名水を授かったと伝えられる湧き水です。当地はもと宗慶寺境内でしたが、明治39年刊行の新撰東京名所圖會の頃には松平播磨守侯の地となっていたようです。

境内掲示による極楽水の沿革

ここは、了誉聖冏上人が、応永22年(1415)伝通院の元ともなった庵を結んだ所で、後に吉水山宗慶寺の境内となった。現在の宗慶寺は、すぐ下にある。
『江戸名所記』に「小石川吉水の極楽の井は、そのかみ伝通院の開山了誉上人よし水の寺におわせし時に、竜女形をあらわして上人に奉り、仏法の深き旨を求めしかば、上人はすなわち弥陀の本願、実義をねんごろにしめし賜うにその報恩としてこの名水を出しけり」とある。
現在の極楽水は、小石川パークタワーの手によって近代風に整備されたものである。(文京区教育委員会掲示より)

「新撰東京名所圖會」による極楽水の沿革

極楽井
極楽の井は。宗慶寺假本堂の前南側に在り。二重井筒にて深からず。水は清冽なり。
新編江戸志に云。極楽の井。一名吉水。
小石川志料に云。極楽水井は。今松平播磨守殿やしき内にあり。元石川山善仁寺の境内也と。江戸砂子に書るは大なる誤りなり。この播州侯のやしきはもと宗慶寺の境内なるを。むかし水戸家より本所にて。代地を八千坪出し。宗慶寺の地内八千坪を播磨侯の館となし給ふ。故に極楽水と名つく。今此やしきの内に入て。宗慶寺にある所の極楽井は播州侯のやしきよりの呼水也と宗慶寺の傳なり。
(中略)
名所記に云。了譽上人吉水の寺におはせし時、龍女来て弘法の深旨をもとむ。上人即ち相無相事理倶頓の要法をしめす。龍女即語無生の理にかなひ。菩薩戒の血脈をうけ。其の報恩として此名水を涌し奉れり。
此事傳記になきよし。幡随院にたかはす。混同なるか。
編者按るに。龍女の事を了譽上人の徳を賛せむが爲めに。後人のいひ出せるものなり。其の證は前に見える行業記に側有岩井清泉湧といへるにて明白なりといふべし。
極楽といふは俗稱にて。本名に吉水なり。然れども世間にては總て極楽水と稱し来たり。(「新撰東京名所圖會」より)


極楽水の周辺図