東光山定泉寺|江戸三十三観音霊場
定泉寺の概要
浄土宗寺院の定泉寺は、東光山見生院と号します。定泉寺は、太田道灌の矢場跡があったと伝えられる本郷弓町に蜂屋九郎次郎善遠が開基、増上寺十八世定蓮社定誉随浪和尚が開山となり、元和7年(1621)に創建、明暦の大火後当地へ移転したといいます。江戸三十三観音霊場9番札所、上野王子駒込辺三十三ヶ所観音霊場19番札所です。
山号 | 東光山 |
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院号 | 見生院 |
寺号 | 定泉寺 |
住所 | 文京区本駒込1-7-12 |
宗派 | 浄土宗 |
本尊 | 十一面観世音菩薩 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | 江戸三十三観音霊場9番札所、上野王子駒込辺三十三ヶ所観音霊場19番札所 |
定泉寺の縁起
定泉寺は、太田道灌の矢場跡があったと伝えられる本郷弓町に蜂屋九郎次郎善遠が開基、増上寺十八世定蓮社定誉随浪和尚を開山となり、元和7年(1621)に創建、明暦の大火後当地へ移転したといいます。
「本郷區史」による定泉寺の縁起
定泉寺
駒込片町に在り、智恩院末、東光山見生院と號す、元和七年幕臣蜂屋九郎次郎善遠(寛永十年寂)が定譽随波(寛永十二年寂)を開山とし本郷御弓町太田道灌矢場跡に開く處で明暦大火後現地に移轉した。牧野金助(各町史金助町参照)川崎林屋(書家名は整儀久次郎と稱す享保三年歿)川崎友隆(數學者)沼田耕山(畫家、明治十七年歿三十五)の墓がある。(「本郷區史」より)
東京名所図会による定泉寺の縁起
定泉寺
駒込片町三十三番地にあり、東光山と號す、浄土宗京都知恩院末にして、元和七年起立、蜂屋九郎次郎善遠の開基にして、僧廓譽(寛永十二年寂)を開山とす、初め本郷に在り、後此地に移る、聖観音あり、江戸三十三所の内第九番。(東京名所図会より)
御府内寺社備考による定泉寺の縁起
京都知恩院末 駒込不唱小名
東光山見生院定泉寺、境内拝領地千二百六拾坪
当寺起立之儀元和七年本郷弓町太田道灌矢場跡与申傳候場所有し候処右地所を旗本蜂屋九郎殿拝領後当寺ヲ建立致候。明暦三年大災後当所拝領引地被仰付候由俗ニ今矢場定泉寺ト相傳申候。
開山定蓮社定誉随浪和尚寛永十二亥年九月十日遷化。
開基蜂屋九郎次郎善遠寛永十癸丙年八月廿九日卒法名転相清金信士与申候。(御府内寺社備考より)
定泉寺の周辺図
参考資料
- 「本郷區史」
- 東京名所図会
- >御府内寺社備考