青龍山林泉寺|「大岡政談」で著名な縛られ地蔵
林泉寺の概要
曹洞宗寺院の林泉寺は、青龍山と号します。林泉寺は、通山宗徹和尚(元和7年寂)が開山、伊藤半兵衛(寛文3年卒、法名青龍院殿相道円居士)が開基となり創建したといいます。「大岡政談」で著名な縛られ地蔵が当寺にあり、当寺の縛られ地蔵は著名であったといいます。
山号 | 青龍山 |
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院号 | - |
寺号 | 林泉寺 |
住所 | 文京区小日向4-7-2 |
本尊 | 釈迦牟尼佛像 |
宗派 | 曹洞宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
林泉寺の縁起
林泉寺は、通山宗徹和尚(元和7年1621年寂)が開山、伊藤半兵衛(寛文3年1663年卒、法名青龍院殿相道円居士)が開基となり、普蔵寺と号して創建、寛文3年林泉寺と改めたといいます。
「小石川區史」による林泉寺の縁起
林泉寺
青龍山林泉寺。曹洞宗、巣鴨町白泉寺末。本尊釋迦牟尼佛。當寺の起源は明らかでないが、元和七年六月四日が開山通山宗徹和尚の歿年であるから、恐らく慶長、元和頃の開創であろう。寺傳に依れば慶長七年開創といふ。開基は伊藤半兵衛長光、初めは普蔵寺と云つたが、寛文三年開基歿後林泉寺に改めたといひ傳へられてゐる。文政の頃は境内拝領地千六百八十五坪、他に六十一坪の附屬地があつた。現在の本堂は天保四年の建立で、境内に俗稱『縛られ地蔵』がある。又毎金曜日参禪會が行はれてゐる。(「小石川區史」より)
東京名所図会による林泉寺の縁起
林泉寺
(小日向茗荷谷町)二十六番地にあり、青龍山と號す、曹洞宗浅草白泉寺末、門前に縛られ地蔵といへるありて、著名なり、願掛するもの尊體を縛り、願ほどきに其縛めを解く、霊験ありといへり、以前は堂宇の設けありしよりなるも、今や風霜に委せり。石佛七八軀、中に「一相道圓信士、即無貞心信女、俗名伊藤半兵衛」がそれなりと寺僧は語れり、石の花立を手向く、年號不詳、縛られ地蔵、何か由来あるべし。(東京名所図会より)
林泉寺所蔵の文化財
- 縛られ地蔵
縛られ地蔵
人々が願いをかけるとき地蔵尊を縄でしばり願いが叶うと縄をほどくので、しばり地蔵ともいわれた。「江戸砂子」には小日向林泉寺の、しばり地蔵は大変有名であると記されている。
「昔、呉服屋の手代が地蔵さまの前で休み居眠りをしているうちに反物を盗まれてしまった。奉行は石地蔵が怪しいと言って地蔵を荒縄でしばり奉行所に運んだので物見高い見物人が一緒に奉行所内に入ってしまった。許しもなく入った人々に罰として三日以内に反物を持参させた。その中に盗品があり犯人を検挙した。」この「大岡政談」の話しの地蔵尊は現在の葛飾区東水元(南蔵院)にあるが、「縛られ地蔵」として有名になったのもこの頃からと思われる。(文京区教育委員会掲示より)
林泉寺の周辺図
参考資料
- 「小石川區史」
- 東京名所図会