業平山南蔵院|業平橋周辺に創建、関東百八地蔵
南蔵院の概要
天台宗寺院の南蔵院は、業平山東泉寺と号します。南蔵院は、権僧都林能法師(貞和4年1348年寂)が在原業平が居住していたといわれる地(本所小梅町付近:現業平橋周辺)に創建したと伝えられます。元禄11年(1698)中之郷八軒町(墨田区吾妻橋3丁目)へ移転、しばられ地蔵で著名となりました。関東大震災で罹災、廃寺となっていた聖徳寺の地(当地)へ移転しました。関東百八地蔵97番、新葛西三十三所観音霊場4番です。
山号 | 業平山 |
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院号 | 南蔵院 |
寺号 | 東泉寺 |
住所 | 葛飾区東水元2-28-25 |
本尊 | 釈迦如来坐像 |
宗派 | 天台宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | 関東百八地蔵97番、縛られ地蔵 |
南蔵院の縁起
南蔵院は、権僧都林能法師(貞和4年1348年寂)が在原業平が居住していたといわれる地(本所小梅町付近)に創建したと伝えられます。元禄11年(1698)中之郷八軒町(墨田区吾妻橋3丁目)へ移転、しばられ地蔵で著名となりました。関東大震災で罹災、廃寺となっていた聖徳寺の地(当地)へ移転したといいます。
葛飾区寺院調査報告による南蔵院の縁起
当寺の草創に関し、「東京府志料」には、貞和4年(1348)の起立、開山林能とするが、「東京府寺院明細帳」では、「創立不詳。中興開基権僧都林能法師、貞和4年中卒ス」とあって一致しない。元禄11年(1698)水戸藩下屋敷の用地となり、本所小梅から中之郷八軒町(墨田区吾妻橋3丁目)に移り、さらに大正12年の大震火災に罹り、昭和元年12月聖徳寺の境内である現在地に転じた。現本堂は昭和53年11月の新築である。当寺の山号および<しばられ地蔵>に関しては「十万庵遊歴雑記」に「寛永年間、大猷院君(三代将軍家光)本所隅田川辺御成の砌、有原の業平の住し古跡あるやと、処々村々御たづね廻しける。(中略)此日還御の砌、小梅の辺御通りありて、此南蔵院へ御立寄あり。有原の業平の古跡やある、此辺にはなきやと尋賜ふに、寺僧小さき束帯の座したる木像を持出、先年、土中より掘出せし由を言上し、上覧に入しかは、是有原の業平天神ならんと上意ありしに依て、業平八幡宮と勧請し、夫より山号を業平山と名付けたるとかや。(中略)縛れ地蔵は石像にして、御丈ニ尺余、業平天神の南にありて、往来の人に縛せられ賜ふと以って結縁摂化し賜ふ。その容体、辻堂の如し」とある。
当寺の現在地にもとからあった聖徳寺については、「新編武蔵風土記稿」に「聖徳寺 天台宗。隅田村木母寺門徒。金海山正福院ト号ス。本尊聖徳太子」とのみあり、創立年代は不明。境内に聖徳寺の堂舎が残り、また<聖徳のマツ>という老松がある。(葛飾区教育委員会 葛飾区寺院調査報告より)
南蔵院の周辺図