桂芳山瑞泰寺|旧江戸六地蔵第一番の銅造地蔵
瑞泰寺の概要
浄土宗寺院の瑞泰寺は、桂芳山護念院と号します。瑞泰寺は、光蓮社勝誉上人桂芳和尚(寛永5年1628年没)が開山、京極丹後守高知(法名瑞泰院殿前丹州大守拾遺真巌道可大居士)が開基となり、天正17年(1589年)神田に桂芳院として創建、元和8年(1622)開基没後、開基に因んで瑞泰寺と改めたといいます。江戸時代を通して、開基京極氏の菩提寺となっていたほか、江戸六地蔵(東都歳時記)の第一番の銅造地蔵があったといいます。
山号 | 桂芳山 |
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院号 | 護念院 |
寺号 | 瑞泰寺 |
住所 | 文京区向丘2-36-1 |
本尊 | 木造阿弥陀如来坐像 |
宗派 | 浄土宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
瑞泰寺の縁起
瑞泰寺は、光蓮社勝誉上人桂芳和尚(寛永5年1628年没)が開山、京極丹後守高知(法名瑞泰院殿前丹州大守拾遺真巌道可大居士)が開基となり、天正17年(1589年)神田に桂芳院として創建、元和8年(1622)開基没後、開基に因んで瑞泰寺と改めたといいます。慶安元年(1648)当地へ移転したといいます。江戸時代を通して、開基京極氏の菩提寺となっていたほか、江戸六地蔵(東都歳時記)の第一番の銅造地蔵があったといいます。
「本郷區史」による瑞泰寺の縁起
瑞泰寺
駒込蓬莱町に在り、桂芳山護念院と號す、天正十七年丹後田邊の城主京極丹後守高知の神田明神下に創立する所で、初め開山桂芳(寛永五年寂)に因で桂芳院と稱したが、元和八年高知卒するに及び其の法號瑞泰院に因て瑞泰寺と改め慶安元年現地に移轉した。府内六地蔵(元禄六年建立)の一なる檀陀地蔵尊(銅像丈八尺)がある。(「本郷區史」より)
東京名所図会による瑞泰寺の縁起
瑞泰寺
同(駒込蓬莱町)四十九番地にあり、桂芳山護念院と號す、浄土宗京都智恩院末なり、開基は京極高知(丹後守、法名瑞泰院元和八年卒)開山は僧勝譽(寛永五年寂)とす、天正十七年神田明神下に創建して桂芳院と號し、元和元年瑞泰寺と改め、慶安元年駒込四軒寺町即ち方今の地に移れり。檀陀地蔵尊あり、府内六地蔵の第一番なり。
江戸砂子(三)に云、霊験の地蔵尊あり。
新編江戸志(四)に云、地蔵尊、木食空無上人作。
元禄年中の建立とす。(東京名所図会より)
御府内寺社備考による瑞泰寺の縁起
京都知恩院末、駒込四軒寺町
桂芳山護念院瑞泰寺、境内拝領地1295坪外持添年貢地250坪。
起立天正17年神田明神下ニ草創仕桂芳院与号ス。其後四世教誉岩茂代元地就 公用地 召上代地駒込ニ於テ拝領仕慶安元子年移寺仕候。
開山光蓮社勝誉上人桂芳和尚寛永5辰年3月25日示寂。
中興三世頓蓮社大誉上人円極和尚寛永13子年12月16日示寂。
開基京極丹後守高知法名瑞泰院殿前丹州大守拾遺真巌道可大居士元和8亥年8月12日卒、右為菩提佛殿僧坊悉改造シ寺号ヲ瑞泰寺ト改メ永世京極家之為菩提所。
本堂、間口7間半奥行5間半。本尊阿弥陀如来木立像丈2尺3寸。脇立観音勢至二大士、木立像各丈1尺5寸。善導円光両大師、座像各丈1尺5寸。
洪鐘、鐘楼堂、9尺四方。右施主京極兵部高門法名金栗院殿ト号ス慶安年中四世教誉岩茂代建立仕候処、天明年中類焼仕其後同3卯年11月再建仕候、奉行増村幸左衛門成冶エ田中丹波守藤原重行
地蔵堂、2間四方。檀陀地蔵尊、銅像丈8尺源蓮社本誉空無作ト彫付銘、其外御符内六地蔵之第一番順拝所元禄6酉年7世廣誉傳栄代建立。
石地蔵尊、立像丈3尺4寸、萬冶3子年建立。
護法神社、八幡稲荷各神体幣。
以上丙戌書上。(御府内寺社備考より)
瑞泰寺の周辺図
参考資料
- 「本郷區史」
- 東京名所図会
- 御府内寺社備考