妙法山蓮光寺|文京区関口にある日蓮宗寺院
蓮光寺の概要
日蓮宗寺院の蓮光寺は、妙法山と号します。蓮光寺は、陽泉院日行上人(延宝2年1674年寂)が牛込寺町に寛永6年(1629)創建、元禄11年当地に移転したといいます。
山号 | 妙法山 |
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院号 | - |
寺号 | 蓮光寺 |
住所 | 文京区関口3-9-16 |
宗派 | 日蓮宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
蓮光寺の縁起
蓮光寺は、陽泉院日行上人(延宝2年1674年寂)が牛込寺町に寛永6年(1629)創建、元禄11年当地に移転したといいます。
「小石川區史」による蓮光寺の縁起
蓮光寺
妙法山蓮光寺。日蓮宗小湊誕生寺末。本尊十界勧請曼荼羅。當寺の開創は寛永六年で、開山たる陽泉院日行上人(延寶二年正月十八日寂)が牛込寺町に開基した。二世日意上人の時、寺地御用地となり、目白坂下に移つたが、元禄十年其處も護國寺建立のため御用地となつて現在の地に移つた。文政には境内拝領地千坪御年貢地五百坪あり、現本堂は明治三十五年の改築に係る。寺内に淘宮術の元祖横山丸三の墓、相撲行司木村氏累代の墓及び落語家橘屋圓太郎の墓等がある。(「小石川區史」より)
東京名所図会による蓮光寺の縁起
蓮光寺
関口町百八十四番地音羽町六丁目七丁目の裏にあり、妙法山と號し、日蓮宗誕生寺末、本尊十界曼荼羅、開祖日英創立年月不詳なれども、萬冶二年の石碑あれば此より以前のものなるべし門前に流るゝ石橋を渡り甃石を踏み石段を登り寺門に至る門は黒塗なり、金字にて妙法山の額を掲ぐ、大光山廣布導師僧正日解の筆なり
門の左側に一碑あり「こちら向うしろはふるし時鳥漣々」明治三年甲午秋建之と刻せり、門を入り石段を登れば前面に本堂あり、堂前に鐘楼在り、寶暦七年八月時正日鋳す「娑婆教體、多在昔聲、青蓮金光、随開随生、朝々夕々、法雷恆轟、悪利無彊、天下水平」と刻せり
其側に間口二間奥行三間の妙法殿あり、其傍に嗽石盤あり文化二乙丑稔十月上八日と刻す、又本堂の前に進斎有井先生の碑あり、篆額は芳川顯正撰文は岡本監輔にて柳澤信大之を書せり(碑文中略)
本堂の裏側に石幹の古井戸あり二十世日海と刻せり、墓域には有井進斎先生の墓及横山丸先生の墓(嘉永七年八月十三日と刻す)あり(東京名所図会より)
蓮光寺の周辺図
参考資料
- 「小石川區史」
- 東京名所図会