麟祥院|臨済宗妙心寺派四ヶ寺触頭、春日局墓所
麟祥院の概要
臨済宗妙心寺派寺院の麟祥院は、天澤山と号します。麟祥院は、定光禅師集劉渭川が開山、春日局が開基となり、寛永元年(1624)報恩山天澤寺として創建、春日局死後、春日局の法号に因んで天澤山麟祥院と改号したといいます。寛永11年(1634)には寺領300石の御朱印状を拝領、江戸時代には臨済宗妙心寺派の触頭を浅草海禅寺、高輪東禅寺、牛込松源寺と共に勤めていたといいます。
山号 | 天澤山 |
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院号 | 麟祥院 |
寺号 | - |
住所 | 文京区湯島4-1-8 |
宗派 | 臨済宗妙心寺派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | 臨済宗妙心寺派四ヶ寺触頭、春日局墓所 |
麟祥院の縁起
麟祥院は、定光禅師集劉渭川が開山、春日局が開基となり、寛永元年(1624)報恩山天澤寺として創建、春日局死後、春日局の法号に因んで天澤山麟祥院と改号したといいます。寛永11年(1634)には寺領300石の御朱印状を拝領、江戸時代には臨済宗妙心寺派の触頭を浅草海禅寺、高輪東禅寺、牛込松源寺と共に勤めていたといいます。
「本郷區史」による麟祥院の縁起
麟祥院
龍岡町に在り、妙心寺派京花園妙心寺の直末で一等に斑し東京に於ける臨済四箇寺の一である。寛永元年春日局の開基する所で、定光禅師集劉渭川を開山とする。初め報恩山天澤寺と稱したが、局の法號麟祥院に因み寛永十一年麟祥院と改め天澤山と號し前後三百石の寺領を附せられた。表門に海東法窟の額あり。本堂(享保十九年再建)庫裡並に客殿(根津権現殘木)住職居間、春日局靈屋、鎮守堂、経蔵、鐘楼、閻魔堂、土蔵等の建物あり。寶物に後花園天皇宸筆色紙一軸、家康感状一巻、秀忠書翰一軸、渭川和尚語録一冊、渭川墨跡四軸、春日局文書二巻、家光所持團扇一柄、春日局所持鏡一面、同玉數一連、同團扇一柄、探幽筆春日局畫像一軸、明兆筆十六羅漢十六幅、探幽筆兒文殊畫像一軸、維摩詰過去成道圖(明人畫)一軸、牧渓筆寒山拾得一軸等がある。墓地には春日局墳墓の外斎藤立本(春日局の兄内蔵助利三の長子)本多忠恕(磐城泉藩主、沖翁壺山と號す安永二年歿六十)奥平玄甫(名は定時、通稱定次郎棲遅庵と號す武州忍藩文学、嘉永三年歿、八十二)泉澤履斎(名は充字は始達、通稱牧太、陸中の人、朝川善庵に學び、亀山藩の儒者となる。安政二年歿七十七)大槻西磐(名は清禎字は瑞郷、通稱は恒輔、仙臺の人、西洋新史を作る、安政四年歿、四十)の墓がある。(「本郷區史」より)
麟祥院所蔵の文化財
- 十六羅漢図(文京区指定文化財)
- 春日局像(文京区指定文化財)
- 麟祥院文書・春日局書簡(文京区登録文化財)
- 春日局墓(文京区登録文化財)
麟祥院の周辺図
参考資料
- 「本郷區史」