長福寺|我孫子市新木野にある真言宗豊山派寺院
長福寺の概要
我孫子市新木野にある真言宗豊山派寺院の長福寺は、玉桜山と号します。長福寺の開山開基は不詳ながら、貞享3年(1686)銘の「法印権大僧都宥長不生位」墓碑が残されていることから江戸時代前期には創建していたのではないかといいます。明治6年廃寺となったものの、信徒や地蔵尊奉賛会により護持されているといいます。新四国相馬霊場八十八ヶ所81番、下総三十三ヶ所観音霊場22番です。
山号 | 玉桜山 |
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院号 | - |
寺号 | 長福寺 |
住所 | 我孫子市新木野1-2-6 |
宗派 | 真言宗豊山派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
長福寺の縁起
長福寺の創始は不詳ながら、長享2年(1488)権律師覚永と刻まれた板碑が残されていることから古くより堂庵があったといい、永禄元年(1558)龍泉寺の永楽法印が当地に隠棲、寺院としたといいます。
「我孫子市史」による長福寺の縁起
長福寺(新木一九八四)
山号玉桜山 真言宗豊山派 もと龍泉寺末
永禄元年(一五五八)龍泉寺の永楽法印がここに隠棲したのにはじまる。ただし、当所発見の板碑に長享二年(一四八八)権律師覚永と刻んだものがあることから、古く堂庵があったとも考えられる。古記録がないのでその後のことが分らないが、寛文六年(一六六六)銘金剛盤が伝えられており、寛文十一年(一六七一)造立の五輪塔に長福寺長厳の名がみえ、元禄七年(一六九四)の長厳の墓塔もある。以後、宝永年間(一七〇四~一一)に隆智法印が在住、その他にも当寺の僧職の墓塔とみられるものが散見される。
また、当寺は旧沖田弁財天の別当寺で、明和元年(一七六三)の弁天堂建立に当って勧進を行った。
安永四年(一七七五)の相馬霊場設立に際しては、第八十一番讃岐白峯寺写しとなり、本尊は千手観音とされた。ついで、文化四年(一八〇七)には大師堂を造立し、その後も三十三観音の造立寄進などが行われたが、幕末に至って無住となり、明治初年廃寺となった。さらに、戦後は新木青年館が建設されて、旧寺の仏像什物はその一室に収納されたが、昭和六十三年に旧薬師堂が改築され、本尊像その他をその堂内に移して安置保存するようになった。
改築された堂は、向拝付、入母屋造、銅板葺である。もとは、石造薬師如来像を安置していたので薬師堂とよびならわしてきたが、いまは本尊千手観音を中心に安置しているので、観音堂とよぶべきかもしれない。
千手観音像は、頭上に十一面を頂き、合掌手以下十八手を数える。木造、玉眼、皆金色の立像で、像高は六二・五cm、台座及び光背を具備して、明治三十五年に修繕された厨子に納めてある。江戸時代中期以前の造像であろう。この像が下総三十三観音の一つに数えられ、当寺はその札所であった。
木造不動明王坐像は、玉眼、天地牙、彩色で、像高三五・五cm、江戸時代の造像で、昭和六年に補修されている。
また、厨子入の木造釈迦如来坐像及び三十三観音像が保存されているが、それらは天保十三年(一八四二)の造立寄進によるもので、釈迦像に「大仏師、相馬郡押戸村杉山林哲、同吉蔵」と記されている。
石造舟形薬師如来立像は、もと字薬師前にあったもので、寛文八年(一六六八)銘がある。
なお、木造僧形立像が保存されている。それは沖田共同墓地のところにあった掛所から移されてきたものという。右手首がなくなり、両足がはずれるなど損傷しているが、若々しい顔貌や僧衣のひだの彫りに冴えた感覚がある。背面に板をあてているが、胴体は丸太材の一木で、背ぐりをほどこしたものであり、修理の墨書がある。墨書は「奉大乗妙典□□作□、小池定左エ門、願主泉州鈴木佐兵衛、□州□町□□町、善右門、小池定左エ門四代目、小池元吉修繕ス、弐人ニテ、明治四十四年亥六月」と辛じて判読できる。はずれている両足のうちの一本は、わらじをはいた形に作られており、像は、行脚の姿をあらわしたもので、弘法大師の巡錫遊行の像ということであろうか。あるいは、鯖大師だったかもしれない。像高は、足を補って九九・五cm、玉眼入りの挿首で胡紛彩色、衣には朱彩の痕跡がある。
つぎに、境内の別棟で、稲荷社がある。方一間の入母屋造の屋舎の中に、段を設けて、木造、入母屋造、向拝付の社殿が納めてある。
大師堂は、方一間、向拝付、切妻造、正面唐破風の瓦葺堂で、明治三十二年一月二十一日の再建になり、碑文によって、大工棟梁田中末吉、木挽根本伊之助、彫刻師北相馬郡北方後藤藤太郎、石工布佐町大塚岩吉と知られる。堂は、側背三面に十六羅漢の板彫刻を嵌め、向拝まわり、正面扉、その他随所に装飾彫刻がほどこされている。なお、十六羅漢の板彫刻には各々扇形があって、「当区若者有志者」「胴板木材寄附田村四郎兵衛」及び「当区念仏講中」の刻銘がある。また、堂内安置の石造大師像には、文化四年(一八〇七)、石工取手平吉の刻銘がある。境内入口わきの榊八幡社は、コンクリート造りの社殿で、切妻造、瓦葺、「奇客人神霊」と記した石祠が納めてある。もと榊原某の首が埋葬されていたのを供養し、まつったといい伝えられている。(「我孫子市史」より)
長福寺の周辺図
参考資料
- 我孫子市史