新宿白幡神社|千葉市中央区新宿の神社
新宿白幡神社の概要
新宿白幡神社は、千葉市にある神社です。新宿白幡神社は、源頼朝が安房から千葉城主千葉常胤を頼って千葉を通過する際、当地に鎮座していた結城稲荷の境内に陣営を置き、源氏の白幡を立てたことから白幡大明神と称されるようになったといいます。寒川神社の摂社となっています。
社号 | 白幡神社 |
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祭神 | 譽田別命、息長足姫命 |
相殿 | - |
末社 | 白髭大明神、結城稲荷大明神 |
住所 | 千葉市中央区新宿1-19-4 |
祭日 | - |
備考 | - |
新宿白幡神社の由緒
新宿白幡神社は、源頼朝が安房から千葉城主千葉常胤を頼って千葉を通過する際、当地に鎮座していた結城稲荷の境内に陣営を置き、源氏の白幡を立てたことから白幡大明神と称されるようになったといいます。寒川神社の摂社となっています。
「千葉県神社名鑑」による新宿白幡神社の由緒
掲載なし(「千葉県神社名鑑」より)
境内掲示による新宿白幡神社の由緒
白幡神社
この辺は江戸時代以前までは結城野と呼ばれていました。当社の伝承では、「昔は結城稲荷と呼ばれ倉稲魂命を祭神としていた。治承4年(1180)、石橋山の合戦に破れた源頼朝は、再挙を図り千葉城主千葉常胤を頼って千葉を通過する時、結城稲荷の境内に源氏の白幡を立て、その1旒を奉納したことより白旗(幡)大明神と呼ばれるようになった。」と伝えられる。また江戸時代初期の「総葉概録」には「白旗八幡」と記され、江戸中期の「千葉盛衰記」には、前記伝承を記している。明治になって白幡神社とその社号を改めました。
神社は、古墳の上かまたはその側に祀られたものと思われ、昭和31年2月3日神社の境内からは古墳時代後期(1400-1500年前)の金銅装飾直刀2振が出土している。(千葉市教育委員会掲示より)
「千葉町案内」による新宿白幡神社の由緒
白幡神社
千葉町の果寒川新宿にあり、祭神は譽田別命、息長足姫命で、勸請年月等は不詳であるが、治承年間に賴朝公が安房から上總を經、白幡を押立てゝ千葉城へ乗込んで来た時に、牽ゆる處の兵一千中、主なる士大将等は千葉城内に宿營したが、數多の士牽は、概ね此處に野營をする事になつた。并して戦ひ勝つに及んで、此處に白旗幾流かを納めたので、白幡神社の名が殘つてゐるのである。尚此外白幡神社は鎌倉に一ヶ所、房州にも亦一ヶ所の總て三ヶ所にあるとの事である。而して此社は目下寒川神社の攝社になつて居て、境内には琴平神社等都合五社が併せ祀られてある。(「千葉町案内」より)
新宿白幡神社の周辺図
参考資料
- 「千葉県神社名鑑」
- 「千葉町案内」(増島信吉著:千葉町案内発行所)