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三代王神社|千葉市花見川区武石町の神社

三代王神社の概要

三代王神社は、千葉市花見川区武石町にある神社です。三代王神社は、武石城に居城していた武石三郎胤盛が、郷中安全の守護神として建仁2年(1202)に明神を勧請、武石明神と称されていたといいます。馬加康胤が馬加城に在城の際には、文安2年(1445)奥方のお産に際して安産を守護されたことから、翌年に本社を造営、家臣小川采女を社人として祭司に充てられたといいます。馬加康胤は康正2年(1456)同族の東常縁に敗れて自害、小川采女も戦死、文亀元年(1501)に社号を三代王神社と改めたといいます。その後江戸時代には「武石明神」と称して馬加神社(現子守神社)の神主が兼務していたものの、宝暦7年(1757)に小川采女の子孫を社人に起用し三代王神社と復号しています。明治維新後の社格制定に際して村社に指定されていました。

三代王神社
三代王神社の概要
社号 三代王神社
祭神 天種子命
相殿 -
境内社 -
住所 千葉市花見川区武石町1-4
祭日 10月20日
備考 -



三代王神社の由緒

三代王神社は、武石城に居城していた武石三郎胤盛が、郷中安全の守護神として建仁2年(1202)に明神を勧請、武石明神と称されていたといいます。馬加康胤が馬加城に在城の際には、文安2年(1445)奥方のお産に際して安産を守護されたことから、翌年に本社を造営、家臣小川采女を社人として祭司に充てられたといいます。馬加康胤は康正2年(1456)同族の東常縁に敗れて自害、小川采女も戦死、文亀元年(1501)に社号を三代王神社と改めたといいます。その後江戸時代には「武石明神」と称して馬加神社(現子守神社)の神主が兼務していたものの、宝暦7年(1757)に小川采女の子孫を社人に起用し三代王神社と復号しています。明治維新後の社格制定に際して村社に指定されていました。二宮神社の「下総三山の七年祭り」に参加する社の一社です。

「千葉県神社名鑑」による三代王神社の由緒

創建年代不詳。承安の頃、千葉介常胤三男の武石三郎胤盛が城を構え崇拝されたという。社殿は天正・享保年代に修築を加え、宝暦年間「武石明神」と称し、寛政八年以来「三代王神社」と称す。近々は昭和五三年に基礎工事及び屋根替えを行なった。(「千葉県神社名鑑」より)

「千葉縣千葉郡誌」による三代王神社の由緒

三代王神社
武石町武石に鎮座す。天種子命を祭神とす、社殿創立年代不詳なれど、享保十七年十一月二日と文政八年正月十七日の棟札により『奉造立』と見たり。社殿間口六間半奥行三間、境内千百十七坪、境内神社金刀比羅神社あり。(「千葉縣千葉郡誌」より)


三代王神社の周辺図