千葉縣護國神社|千葉縣招魂社として創建
千葉縣護國神社の概要
千葉縣護國神社は、千葉市にある神社です。千葉縣護國神社は、明治11年初代県令柴原和が発起となり千葉県庁公園内に千葉縣招魂社として創建、昭和42年亥鼻から弁天町へ遷座、令和4年当地へ遷座しています。
社号 | 千葉縣護國神社 |
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祭神 | 明治維新後日本国のために命を落とした千葉県民五万七千余柱 |
相殿 | - |
境内社 | - |
祭日 | 4月10日、10月10日 |
住所 | 千葉市若葉区桜木4-1-1 |
備考 | 旧県社 |
千葉縣護國神社の由緒
千葉縣護國神社は、明治11年初代県令柴原和が発起となり千葉県庁公園内に千葉縣招魂社として創建、昭和42年亥鼻から弁天町へ遷座、令和4年当地へ遷座しています。
境内石碑による千葉縣護國神社の由緒
明治天皇の思召により、明治十一年一月二十七日、初代県令柴原和が発起となり一身を捧げて国難に殉ぜられた人々の勲を永く顕彰し、そのみたまをお慰め申し上げるために千葉県庁公園内に千葉縣招魂社として創建せられたのにはじまり、爾来社地変更・御社号改称等の変遷を経て、昭和四十二年九月三十日亥鼻山から御遷座申し上げ、更に平成七年六月には御創立壹百拾五年を記念し御社殿の大修復工事の大事業を完遂しました。
昭和四十八年十月天皇皇后両陛下には、国民体育大会開会式御臨場を機に御親拝遊ばされ、同月全国身体障碍者スポーツ大会に御臨場を機に皇太子(今上天皇)同妃両殿下が御参拝遊ばされるなど創建以来皇室の御崇敬はもとより、県民遺族の変わらぬ崇敬のもとに御神徳は愈々輝き、御社頭は日毎に隆昌に赴いて居ります。(境内石碑より)
「千葉県神社名鑑」による千葉縣護國神社の由緒
明治維新以後大東亜戦争に至る国事困難に殉ぜられた、千葉県出身及び縁故ある英霊を奉斎している。明治一一年一月初代県令柴原和の発起により、千葉県庁公園内に千葉県招魂社として創建、維新の役にたおれた一四柱を合祀したのをはじめとする。昭和一四年招魂社制度の改制に伴い千葉県護国神社と改称。明治二二年千葉神社境内に、昭和一八年亥鼻山に、四二年現在地に御遷座する。四八年一〇月天皇皇后両陛下の御親拝、同年同月皇太子同妃両殿下の御参拝をいただいた。(「千葉県神社名鑑」より)
千葉縣護國神社の周辺図
参考資料
- 千葉県神社名鑑
- 千葉縣護國神社:TOP