猫の足あとによる千葉県寺社案内

宝幢院|千葉市中央区院内町にある真言宗豊山派寺院

宝幢院の概要

真言宗豊山派寺院の宝幢院は、円稿山と号します。宝幢院は、金剛授寺覚算和尚三世宥覚が保延3年(1137)に法東院と号して創建、千葉勝胤の九男妙見寺第十四世覚胤が元亀2年(1571)堂宇を当地へ移し宝憧院と改めて中興開山したといいます。千葉寺十善講八十八ヶ所霊場1番・2番です。

宝幢院
宝幢院の概要
山号 円稿山
院号 宝幢院
寺号 -
住所 千葉市中央区院内町1-3-8
宗派 真言宗豊山派
葬儀・墓地 -
備考 -



宝幢院の縁起

宝幢院は、金剛授寺覚算和尚三世宥覚が保延3年(1137)に法東院と号して創建、千葉勝胤の九男妙見寺第十四世覚胤が元亀2年(1571)堂宇を当地へ移し宝憧院と改めて中興開山したといいます。

「千葉町案内」による宝幢院の縁起

寶幢院
勝胤の男妙見寺第十四世覺胤僧都が元龜二年に堂宇を院内の地に創立した。光明寺と同じく天正十九年徳川家康公東金御巡行の折、妙見寺へ御止宿になり、其節境内を除地として下された。宗は眞言に屬し、本尊は如意輪觀世音である。(「千葉町案内」より)

「社寺よりみた千葉の歴史」による宝幢院の縁起

千葉神社の北側に、円稿山宝瞳院と称するお寺があります。奈良県桜井市の初瀬にある新義真言宗豊山派本山長谷寺の末寺で、如意輪観音を本尊として、明治初年までは、妙見寺住職の隠居寺でした。
法東院創建は「千学集」に保延三年(一一三七)とあります。同書には次のように記されています。
金剛授寺覚算和尚三世宥覚、「我は社僧也」とて盆棚を結び、保延三年丁巳八月二十二日宝幢院を建て給ひて二記彼岸経を読ませられ、聖霊に水を手向け給へり。
宝憧院第一覚乗法印、第二覚清法印、第三覚授法印、第四覚養法印、第五鑑覚法印、第六覚朝法印、第七覚専法印、第八等覚法印、第九欽覚法印、第十快覚法印。快覚の時宝憧院退転す。金剛授寺十四代覚胤法印宝幢院を再興し給へり。往古より本尊は阿弥陀如来なり。(中略)
妙見寺第三世住職の宥覚が法東院を開山して、同院第一世の住職として弟子の覚乗をあてたものと推定できます。
その後、法東院第十世快覚のとき一時退転したのを、元亀二年(一五七一)に至り、妙見寺第十四世覚胤(千葉勝胤の九男)が中興開山して、寺号を宝憧院と改めました。(「社寺よりみた千葉の歴史」より)


宝幢院の周辺図