北斗山光明寺|千葉寺十善講八十八所
光明寺の概要
真言宗豊山派寺院の光明寺は、北斗山と号します。光明寺は、千葉常重が大治元年(1226)に月処山光明寺と号して建立、その後千葉勝胤の六男妙見寺第十三世権大僧都常覚が、永禄9年(1566)堂宇を建立して開山したといいます。千葉寺十善講八十八所4番です。
山号 | 北斗山 |
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院号 | - |
寺号 | 光明寺 |
住所 | 千葉市中央区中央4-11-10 |
宗派 | 真言宗豊山派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
光明寺の縁起
光明寺は、千葉常重が大治元年(1226)に月処山光明寺と号して建立、その後千葉勝胤の六男妙見寺第十三世権大僧都常覚が、永禄9年(1566)堂宇を建立して開山したといいます。
「千葉町案内」による光明寺の縁起
寶幢院
吾妻町二丁目に在る。今其の由緒を聞けば、千葉家に十五代勝胤の六男なる當時の本寺妙見寺座主常覺大僧都が、永禄九年に創建たもので、天正十九年には徳川家康公東金御巡行の折妙見寺へ御止宿になり、其節境内除地として、下されたと云ふ事である。本尊は明王、境内虚空蔵堂は明治十四年火災の爲め焼失した。(「千葉町案内」より)
「社寺よりみた千葉の歴史」による光明寺の縁起
「下総国千葉郷北斗山妙見寺縁起」には、千葉常重が境外仏堂として虚空蔵菩薩を祀って一宇を建立し、月処山先明寺と名付けたとあります。『千葉大系図」には、常重が大治元年(一二二六)月処山光明寺本尊不動明王を建立とあり、創建は古い時代にさかのぼると恩われます。
明治初年につくられたという光明寺縁起によりますと、千葉勝胤の六男妙見寺第十三世権大僧都常覚が、永禄九年(一五六六)堂宇を建立開山して、光明寺と名付けたとなっています。また「千学集」には、同年常覚再興開山とあります。
しかし、千葉家衰退後は、荒廃にまかせていましたが、江戸期にはいって、徳川家康の社寺尊崇により、本寺たる妙見寺に二百石の朱印地が寄進され、光明寺境内も除地の扱いを受け、妙見寺の境外仏堂として復興しました。(「社寺よりみた千葉の歴史」より)
光明寺の周辺図