圓福寺|千葉市稲毛区穴川町にある臨済宗妙心寺派寺院

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圓福寺|千葉市内唯一の臨済宗寺院

圓福寺の概要

臨済宗妙心寺派の圓福寺は、大廣山と号します。圓福寺は、康永2年(1343)華蔵姫の墳墓守護の為、東金市家之子に創建したといいます。その後土気城主酒井定隆の「七里法華」により法華宗に改宗させられたものの、徳川家康の関東入国後、法華宗から臨済宗寺院として復興、近年まで東金市にありました。一方当地では昭和初期に高野山千葉別院建立が計画されていたものの時節適さずに頓挫、大師像・仮本堂が残されていた当地に、昭和17年頃に圓福寺が移転、近年法人としての高野山千葉別院を合寺したといいます。戦後、第二次世界大戦で被災せずに加護してくださった報恩に大師堂を建立したそうです。千葉市内唯一の臨済宗寺院です。

圓福寺
圓福寺の概要
山号 大廣山
院号 -
寺号 圓福寺
住所 千葉市稲毛区穴川町375
宗派 臨済宗妙心寺派
葬儀・墓地 -
備考 穴川花園幼稚園



圓福寺の縁起

圓福寺は、康永2年(1343)華蔵姫の墳墓守護の為、東金市家之子に創建したといいます。その後土気城主酒井定隆の「七里法華」により法華宗に改宗させられたものの、徳川家康の関東入国後、法華宗から臨済宗寺院として復興、近年まで東金市にありました。一方当地では昭和初期に高野山千葉別院建立が計画されていたものの時節適さずに頓挫、大師像・仮本堂が残されていた当地に、昭和17年頃に圓福寺が移転、近年法人としての高野山千葉別院を合寺したといいます。戦後、第二次世界大戦で被災せずに加護してくださった報恩に大師堂を建立したそうです。

境内掲示による圓福寺の縁起

臨済宗妙心寺派圓福寺
大師堂略縁起
この地には、かつて真言宗「高野山千葉別院」の名の下に、壮大な寺院建立の計画がされておりました。仮本堂が建立され、近郷近在からの参詣者で賑わったそうです。しかしながら、時節因縁熟さず、計画は頓挫し、荒れるに任されたままでした。縁在り、臨済宗に転宗し、仏縁をつないで現在に至っています。
この大師堂の弘法大師尊像は、昭和のはじめに高野山遍照光院より、「高野山千葉別院」のお大師様として勧請されたものです。
第二次世界大戦の戦火から、本堂・境内地を鎮護し、千葉市唯一の臨済宗寺院の法脈を保たせて下さった仏恩に報ゆるべく、先住職円山恵心尼和尚が報恩の行として大師堂を建立され、お大師様を奉安させていただきました。
正面の扁額「慧眼」は、埼玉県野火止平林寺の放牛窟糸原圓應老大師のご染筆です。
眼光鋭くご覧になっているお大師様の眼は、智慧の働きを表し、永劫参詣者の安楽を願う智慧の眼、「慧眼」であることを教えています。
平成九年十一月十六日 大廣山圓福寺現住 宗格謹誌(境内掲示より)

「山武郡郷土誌」による圓福寺の縁起

公平村
家之子の圓福寺は臨済宗に屬す。(「山武郡郷土誌」より)


圓福寺の周辺図

参考資料