印内八坂神社|船橋市印内の神社

猫の足あとによる千葉県寺社案内

印内八坂神社|船橋市印内の神社

印内八坂神社の概要

印内八坂神社は、船橋市印内にある神社です。印内八坂神社は、光明寺の住職が祇園の牛頭天王を勧請して享保18年(1733)に創建、当地だけでなく広く信仰を集め、130もの講社が組織されていたといいます。

印内八坂神社
印内八坂神社の概要
社号 八坂神社
祭神 素戔嗚尊
相殿 -
境内社 -
住所 千葉県船橋市印内2-7-8
祭日 7月22日、おびしゃ正月2・3日
備考 -



印内八坂神社の由緒

印内八坂神社は、光明寺の住職が祇園の牛頭天王を勧請して享保18年(1733)に創建、当地だけでなく広く信仰を集め、130もの講社が組織されていたといいます。

境内掲示による印内八坂神社の由緒

八坂神社創建の由来
この神社は江戸時代の享保年間(八代将軍吉宗の時代)疫病の大流行したときに、同境内の真言宗豊山派光明寺の住職が京都八坂神社、祇園精舎の守護神といわれる「牛頭天王」の分身を戴き疫病を納めたことから信仰が広がり、近隣の人々からは「天王様」と呼ばれ親しまれています。
伝承では享保十八年(一七三三年)開創となっており、創建以来光明寺が神仏混交の形で運営していましたが、明治初めに神仏分離令により光明寺と分離し八坂神社として独立運営する事になりました。
明治十年代の講社最盛期の記録によれば、信仰圏東西四里、東は千葉市内、西は江東区辺りまで、南は行徳・浦安、北は松戸の在までに及び、講社の数は百三十余りありました。
当時の記録によれば、祭禮期間中に清酒四斗樽二十二本(一升瓶880本)、赤飯十七俵(一俵60kg)を振る舞った記録が残っております。(境内掲示より)

「千葉県神社名鑑」による印内八坂神社の由緒

正月の二三日に恒例で行われる「おびしゃ」行事から推して、江戸末期の延享年間の創建ともいわれる。明治の初め、村内に悪疫流行の折、神社の御神体を以って消散させたことがあり、以後周辺地帯に広く信仰が広まり、講社参詣で祭礼には大へんな人出で賑わった。現在でも例祭日には近郷近在からの参詣者が多く集う。(「千葉県神社名鑑」より)

「船橋市史」による印内八坂神社の由緒

(印内村)
八坂神社
『県神明細』には由緒不詳とある。伝承では享保十八年の創立という。この創立年については、前記地押帳(『下総国葛飾郡印内村屋敷地押帳』)に見えないから、事実の可能性もある。(「船橋市史」より)


印内八坂神社の周辺図