山野浅間神社|船橋市西船の神社
山野浅間神社の概要
山野浅間神社は、船橋市西船にある神社です。山野浅間神社は、奈良・平安時代から山野浅間神社と称するといい、明治時代には村社に列格していたといいます。
社号 | 浅間神社 |
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祭神 | 木花咲耶姫命 |
相殿 | - |
境内社 | 小御嶽神社、里宮浅間神社、御手洗之神 |
住所 | 千葉県船橋市西船1-5-7 |
祭日 | - |
備考 | - |
山野浅間神社の由緒
山野浅間神社は、奈良・平安時代から山野浅間神社と称するといい、明治時代には村社に列格していたといいます。
境内石碑による山野浅間神社の由緒
此の神社、奈良平安時代から山野浅間神社と稱する一宇の祠は、駿河の國富士浅間社の勧請で木花咲耶姫を奉祀して、縁結び、安産、子育ての神として近郷近在の尊詣頗る厚く、毎年七月一日の山開きには、お禮詣りの善男善女が列をなし登山参拝して大賑いであったと傳へ現在もその隆盛を誇っている。
山野浅間神社の名が廣く世に知られる所以である。
爾来、嘉永三年に神殿として造営され、昭和四十七年七月に増改築が行はれ間口四間三尺奥行七間三尺に及ぶ新社殿となった。
地方の信仰の中心である由緒深き霊地を、有るが儘に任せるには偲びず、御許を仰ぎ古き祠が鎮座していたといふ因縁の地を探し求め、此の神殿を建立寄与した次第である。
入神の儀を行ひ、末永く霊験灼かに若き男女に縁結び安産、子育て、旅の安全の幸を授け給へと祈りてその由来を誌するものである。(境内石碑より)
千葉県神社名鑑による山野浅間神社の由緒
当社は、奈良・平安時代から山野浅間神社と称する。一宇の祠は駿河の国富士浅間神社の勧請で、その後、嘉永三年に新殿として造営され、昭和四七年七月に増改築が行なわれて間口四間三尺、奥行七間三尺に及ぶ新社殿となった。古くより縁結び・お産・子育の神として近郷近在の尊崇厚く、毎年七月一日の山開きには、お礼参りの善男善女で大賑わいであったと伝えられ、現在もその隆盛をみる。(千葉県神社名鑑より)
「船橋市史」による山野浅間神社の由緒
(山野村)
元禄十五年の水帳には「富士浅間社」として載せられており、社地は三反七畝一一歩であった。別当寺は正覚寺であった。『県神明細』には由緒不詳とある。(「船橋市史」より)
山野浅間神社の周辺図
参考資料
- 「船橋市史」
- 千葉県神社名鑑