正延寺|船橋市西船にある真言宗豊山派寺院

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正延寺|正覚寺と延命院が合併、下総四郡八十八所霊場

正延寺の概要

船橋市西船にある真言宗豊山派寺院の正延寺は、山野山と号します。正延寺の創建年代等は不詳ながら、寛永10年(1633)の資料に大日山正覚寺として記載され、江戸期には飯山満村東福寺を末寺としていたといいます。明治41年深堀山延命院と合併し、正延寺と改号したといいます。下総四郡八十八所霊場32、34番です。

正延寺
正延寺の概要
山号 山野山
院号 -
寺号 正延寺
本尊 大日如来像
住所 船橋市西船3-3-4
宗派 真言宗豊山派
葬儀・墓地 -
備考 -



正延寺の縁起

正延寺の創建年代等は不詳ながら、寛永10年(1633)の資料に大日山正覚寺として記載され、江戸期には飯山満村東福寺を末寺としていたといいます。明治41年深堀山延命院と合併し、正延寺と改号したといいます。

「船橋市史」による正延寺の縁起

(山野村)
正覚寺
真言宗。大日山と号する。本尊は不動明王。前記寛永十年の本末寺帳の千手院末寺の中に「正覚寺」の名がみえる。千手院末寺には先崎村(佐倉市)正覚寺もあったので、山野村正覚寺かどうかの確定はできないが、次の延命院と並んで記されているので可能性は高い。前記元禄十五年の水帳では、境内は四反二畝二七歩で畑一反四畝六歩を所有していた。寛政七年の『寺院本末帳』では、同じく千手院末寺で自身は飯山満村東福寺を末寺としている旨記されている。明治四十一年に延命院と合併し、正延寺となった。正延寺となってからの本尊は大日如来を中央仏とする五智如来に替わった。
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延命院
真言宗。深堀山と号する。本尊は地蔵菩薩。寛永十年の本末寺帳に千手院の末寺として名が見え、前記元禄十五年の水帳に境内は四反六畝で、畑一反一畝一二歩所有している旨記す。寛政七年の「寺院本末帳』では千手院末で、印内村光明寺二俣村(市川市)福泉寺菅野村不動院を門徒寺としている旨記す。歴代住職中、嘉永二年(一八四九)に死去した宥杲は俳僧で、小林一茶と親交があった。宥杲は当寺からいくつかの寺を経、高谷村(市川市)安養寺で死去したが、延命院住職としても功績が大きかったようで、「伝燈大阿闇梨法印宥杲不生位」を刻した立派な位牌が残り、また本堂前に辞世の歌句を刻んだ供養・顕彰の碑が残されている。(「船橋市史」より)


正延寺の周辺図


参考資料

  • 「船橋市史」