藤原観音堂|船橋市藤原にある浄土宗寺院

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藤原観音堂|行徳・浦安観音霊場三十三ヵ所

藤原観音堂の概要

船橋市藤原にある浄土宗寺院の藤原観音堂は、江戸時代前期に藤原新田が成立、行徳の田中三左衛門が中心となり元禄3年(1690)に創建したといいます。本尊の観世音菩薩立像は船橋市有形文化財に指定されている他、行徳・浦安観音霊場三十三ヵ所の番外札所となっています。

藤原観音堂
藤原観音堂の概要
山号 -
院号 -
寺号 -
住所 船橋市藤原3-2-18
宗派 浄土宗
葬儀・墓地 -
備考 -



藤原観音堂の縁起

藤原観音堂は、江戸時代前期に藤原新田が成立、行徳の田中三左衛門が中心となり元禄3年(1690)に創建したといいます。

「船橋市史」による藤原観音堂の縁起

(藤原新田)
観音堂
浄土宗。『行徳村試観音開帳縁文写』(安川家文書)によれば、元禄三年に開帳が行われている。現在堂前に残る石灯篭も同年の造立であり、元禄三年の創立としてよいであろう。宝暦十年の前記明細帳に「観音堂」「行徳村徳願寺支配」とある。文政十一年に失火により焼失したが、同年中に再建された。(「船橋市史」より)


藤原観音堂所蔵の文化財

  • 木造観世音菩薩立像(船橋市指定文化財)

木造観世音菩薩立像

堂内に安置されている木造観世音菩薩立像は、旧藤原新田の観音堂(藤原堂)の本尊です。像高は83cm、頭部と体幹部を一木で作り、両肩より先の部分と両足、天衣は別材で、制作年代は江戸時代前期と考えられています。
この像は、江戸時代前期に成立した藤原新田に、行徳の田中三左衛門が中心となってお堂を建て、元禄3(1690)年に行徳の徳願寺から観世音菩薩像(観音像)を請い受けて安置したのが起源といわれています。
古くから「身代観世音」と呼ばれ、諸説はありますが、丹波国穴太寺(京都府亀岡市)の身代観世音と同木同作で、丹波国見樹寺にあったものを招いたという縁起が伝承されています。
「身代観世音縁起」によれば、当時、京の都で有名な仏師であった感世は、丹波国の長者の依頼で観世音菩薩像を制作しました。感世がこの像を長者に届けた後、丹波国大江山の周辺で盗賊に襲われ、刀で切られたはずなのに無傷でした。不思議に思った感世が丹波国の長者のもとへ戻ってみると、観音像から血が流れていたことから、感世の身代りとなったことが分かり、篤く信仰されたといわれています。
藤原堂では当初から秘仏とされ、観世音菩薩は33通りに姿を変えて衆生(いのちあるもの全て)を救うということに由来して、33年に一度、開帳されています。(船橋市教育委員会掲示より)

藤原観音堂の周辺図


参考資料

  • 「船橋市史」