醫王山神宮寺|吉橋大師八十八所霊場、下総四郡八十八所霊場
神宮寺の概要
船橋市三山にある真言宗豊山派寺院の神宮寺は、醫王山と号します。神宮寺の創建年代等は不詳ながら、鎌倉時代以前の創建の可能性も考えられるといいます。明治維新までは二宮神社の別当職を務めていたといい、天正19年(1591)徳川家康より二宮神社と共に5石づつの領地安堵の御朱印状を拝領したといいます。吉橋大師八十八所霊場74番、下総四郡八十八所霊場13番です。
山号 | 醫王山 |
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院号 | - |
寺号 | 神宮寺 |
住所 | 船橋市三山5-37-1 |
宗派 | 真言宗豊山派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
神宮寺の縁起
神宮寺の創建年代等は不詳ながら、鎌倉時代以前の創建の可能性も考えられるといいます。明治維新までは二宮神社の別当職を務めていたといい、天正19年(1591)徳川家康より二宮神社と共に5石づつの領地安堵の御朱印状を拝領したといいます。
「船橋市史」による神宮寺の縁起
(三山村)神宮寺
真言宗。「真言本末」に吉橋村貞福寺の末寺として載せられている。二宮神社の別当寺であった。二宮神社の貞享二年(一六八四)の朱印状に、「別当」の文言が見えるから、当寺はそれ以前から存在することは確実であるが、次に記す梵鐘銘の「二宮社壇」と関連があるとすれば、鎌倉期あるいはそれ以前からの寺院の可能性もある。「県寺明細」には由緒不詳とある。(「船橋市史」より)
「千葉縣千葉郡誌」による神宮寺の縁起
神宮寺
二宮村三山にありて、阿彌陀如来を安置し、由緒不詳なり。境内約千坪堂宇二宇よりなる大寺なり。所有地三町七反二畝歩餘を有し、檀徒人員六十二戸あり。(「千葉縣千葉郡誌」より)
神宮寺の周辺図
参考資料
- 「船橋市史」