貞福寺|八千代市吉橋にある真言宗豊山派寺院

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貞福寺|八千代八福神の恵比寿、吉橋大師八十八所霊場

貞福寺の概要

八千代市吉橋にある真言宗豊山派寺院の貞福寺は、愛宕山地蔵院と号します。貞福寺の創建年代等は不詳ながら、応永元年(1394)に中成和尚が開山したと銘した石碑があったとされます。江戸期には近隣に末寺を擁する小本寺各の寺院で、当寺の存秀法印は文化4年(1807)に吉橋大師八十八所霊場を開創しています。境内の大師堂は吉橋大師八十八所霊場20番、その前身の下総四郡八十八所霊場20番、また八千代八福神の恵比寿です。

貞福寺
貞福寺の概要
山号 愛宕山
院号 地蔵院
寺号 貞福寺
住所 八千代市吉橋804
宗派 真言宗豊山派
葬儀・墓地 -
備考 -



貞福寺の縁起

貞福寺の創建年代等は不詳ながら、応永元年(1394)に中成和尚が開山したと銘した石碑があったとされます。江戸期には近隣に末寺を擁する小本寺各の寺院で、当寺の存秀法印は文化4年(1807)に吉橋大師八十八所霊場を開創しています。

「八千代市史」による貞福寺の縁起

貞福寺
真言宗。吉橋村字花輪に所在。元文元年(一七三六)の『貞福寺縁起」には「愛宕山地蔵院貞福密寺」と記す。寛永十年(一六三三)の『関東真言宗新義本末寺帳』には、醍醐三宝院(京都府)を本寺とする「千手院」(佐倉市井野)末寺七か寺の中に「吉橋村成福寺」とあるのが当寺であろう。当寺が江戸時代初期には「成福寺」であったかどうかは未詳であるが、当字の可能性があろう。寛政七年(一七九五)の「寺院本末帳五十六新義真言十五』(以下嘉義十五」)には醍醐三宝院末寺の千手院末寺一八か寺中に「千葉郡吉橋村貞福寺」とあり、自らは末寺として三山村神宮寺(船橋市)・桑橋村安養院・麦丸村東福院、門徒寺として萱田村長福寺・吉橋村吉祥院・吉橋村来福院・官能(桑納)村威光院、坪井村西光寺・金堀村龍蔵院・楠ケ山村青蓮院・大穴村西光院・行々林村蓮蔵院(坪井村以下は船橋市)を配下としている旨記されている。三宝院-千手院-貞福寺-末寺・門徒寺という多層の上下関係が成立していたのである。この場合千手院を中本寺、貞福寺を小本寺と称した。「千葉県堂宇明細帳』(以下『県堂明細』)に字大作の虚空蔵堂が「貞福寺持」で、その境内に大師堂がある旨記されている。(「八千代市史」より)

「千葉縣千葉郡誌」による貞福寺の縁起

貞福寺
睦村吉橋にあり。小本寺の末寺にして、本尊地蔵尊、外に地蔵菩薩、正觀世音を安置す。由緒及創立不詳なれども、石碑に應永元年三月中成和尚開山とあり。
堂宇明治十六年七月卅一日焼失されたりしも後再築せり。境内千八百十五坪、境内に大師堂一宇あり境外所有地六町八段五畝三歩、檀徒七百三十八人あり。(「千葉縣千葉郡誌」より)


貞福寺の周辺図


参考資料

  • 「八千代市史」
  • 「千葉縣千葉郡誌」