慈眼山青蓮院|船橋市大穴北にある真言宗豊山派寺院
青蓮院の概要
船橋市大穴北にある真言宗豊山派寺院の青蓮院は、慈眼山延命寺と号します。青蓮院は、千葉五郎胤祐が出家し智岸和尚となり、治安2年(1022)に開創したと伝えられます。吉橋大師八十八所霊場29番です。
山号 | 慈眼山 |
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院号 | 青蓮院 |
寺号 | 延命寺 |
住所 | 船橋市大穴北5-30-6 |
宗派 | 真言宗豊山派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
青蓮院の縁起
青蓮院は、千葉五郎胤祐が出家し智岸和尚となり、治安2年(1022)に開創したと伝えられます。
「船橋市史」による青蓮院の縁起
(楠ヶ山村)
青蓮院
真言宗。「真言本末』に吉橋村貞福寺の門徒寺として載せられている。『豊富村誌』や『県寺明細』には、治安二年に智岸和尚開基」とある。しかし、平安時代中期の治安二年(一〇二二)に、智岸和尚なる僧がいたとは考えがたく、これはあくまで伝承の世界に属するものである。ただし、『豊富村誌』には、天正十四年(一五八六)に青蓮院の普明という僧が著したとする湯殿権現の縁起を収載しており、これが正しければ江戸時代以前からある寺院ではある。(「船橋市史」より)
「千葉縣千葉郡誌」による青蓮院の縁起
楠ヶ山
千葉五郎胤祐僧となり、智岸と稱し、後一條天皇の治安年中(凡九百年前)に楠ヶ山を建立し、青蓮院と名づけたり。
(中略)
薬師如来像は後龜山天皇の元中の末年(後小松天皇の明徳年間凡五百三十年前)釜田池より得たる者にして、三尊繪像は亡夫の菩提を弔はんため尼となり、智俊尼と稱して寺邊に草庵を結び居りし、八木ケ谷式部胤宣の女、香樹院の平常守本尊とせし佛畫なり。胤宣は八木ケ谷城外楠ヶ山の西原に十三佛の土塔を築きて、亡夫の供養を營み、又斎田を寄進したり。(青蓮院記)
楠ヶ山より三咲に通ずる、一道路に沿ひ土塚數基あり。形状方にして、其何たるかを辨ぜず。蓋し十三佛の遺跡にはあらざるか。口碑によれば山地に生ぜし楠樹を鎌倉幕府の用材に献せしより、此地を楠ヶ山と稱するに至れりともいふ。
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青蓮院
豊富村楠ヶ山にあり。治安二年知岸和尚基寛に開祖にして、間口七間奥行五間三尺あり。寺格二十一等境内三百九十坪、所有地二反四畝二十四歩、檀徒三百人あり。(「千葉縣千葉郡誌」より)
青蓮院の周辺図
参考資料
- 「船橋市史」
- 「千葉縣千葉郡誌」