薬円台高幡庵|吉橋大師八十八所霊場
薬円台高幡庵の概要
船橋市薬円台にある真言宗寺院の薬円台高幡庵は、享保11年(1726)に亡くなった木食僧の権大僧都阿闍梨観信が庵室を営み創始、本尊の地蔵菩薩像は観信の自作で、枯死した「揺ぎの松」で造ったものだといいます。吉橋大師八十八所霊場41番、下総四郡八十八所霊場41番です。
山号 | - |
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院号 | - |
寺号 | - |
住所 | 船橋市薬円台1-5-26 |
宗派 | 真言宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
薬円台高幡庵の縁起
薬円台高幡庵は、享保11年(1726)に亡くなった木食僧の権大僧都阿闍梨観信が庵室を営み創始、本尊の地蔵菩薩像は観信の自作で、枯死した「揺ぎの松」で造ったものだといいます。
「船橋市史」による薬円台高幡庵の縁起
(薬園台新田)
高幡庵
真言宗。木食僧観信が事保年間に開いたと想定される堂庵。下総薬園(小金野薬園)が開設されるのは享保七年であり、観信が没するのは同十一年で一あるから、開創はその間とするのが妥当であろう。(「船橋市史」より)
薬円台高幡庵所蔵の文化財
- 観信の墓附木造地蔵菩薩坐像(船橋市指定史跡)
- 丹羽正伯供養碑(船橋市指定史跡)
観信の墓附木造地蔵菩薩坐像
米穀を断ち、木の実などを食べて修行をする僧を木食僧と呼びます。江戸時代、その一人である観信はこの地に高幡庵を開き、享保11年(1726)に亡くなりました。観信の墓には「開山 権大僧都理性院阿闍梨 木食観信 享保十一丙午歳七月」と刻まれています。一方位牌には「権大僧都阿闍梨理性院木食観信不生位 享保十一丙午天八月六日」とあり、没年の月日に違いがみられます。
その観信の作と言われ、通称「木っぱ地蔵」と呼ばれる地蔵菩薩が観信の墓の傍らの祠に安置されています。かつて上飯山満高野にあった「揺ぎの松」という巨木が枯死し、その木っ端に観信が彫ったものといわれています。飯山満町にある「ゆるぎ地蔵」も、同松を用いた観信の作と伝えられています。(船橋市教育委員会掲示より)
丹羽正伯供養碑
丹羽正伯は伊勢国松坂(三重県松坂市)生まれの医師・本草学者です。正伯は江戸幕府の医員となった享保7年(1722)、和薬を作るための薬草園用地として、ここ滝台野30万坪のうち、15万坪を幕府より預けられました。正伯は宝暦6年(1756)に江戸で亡くなりましたが、万延元年(1860)、正伯を敬慕する薬園台新田の人々によりこの地に供養碑が建てられました。正面には法名「諦通院日慮」とあります。(船橋市教育委員会掲示より)
薬円台高幡庵の周辺図
参考資料
- 船橋市史