青柳若宮八幡神社|市原市青柳の神社
青柳若宮八幡神社の概要
青柳若宮八幡神社は、市原市青柳にある神社です。青柳若宮八幡神社は、貞観7年(865)に鎮座したと伝えられ、元徳元年(1329)の旱魃に際して村民が雨乞い祈願したところ、若宮八幡大神の神璽が海より漂着、降雨に恵まれたことから、この神璽を遷座したといいます。
社号 | 若宮八幡神社 |
---|---|
祭神 | 大鷦鷯命 |
相殿 | 武内宿彌、木菟宿彌 |
境内社 | 厳島神社、児女神社、三峯神社、疱瘡神社、神明神社 |
例祭日 | - |
住所 | 市原市青柳539 |
備考 | - |
青柳若宮八幡神社の由緒
青柳若宮八幡神社は、貞観7年(865)に鎮座したと伝えられ、元徳元年(1329)の旱魃に際して村民が雨乞い祈願したところ、若宮八幡大神の神璽が海より漂着、降雨に恵まれたことから、この神璽を遷座したといいます。
「千葉県神社名鑑」による青柳若宮八幡神社の由緒
第五六代清和天皇貞観七乙酉年当地に鎮座。また元徳元己巳年に神璽を遷座されたと伝えられている。社伝に「元徳己巳歳夏、大旱魃にて田方植村難成難渋之折柄天照大神江祈念し、海辺江集り潮手水清とて立寄り見れば、縫桶一つ波上に有之、取揚見れば若宮八幡大神の申号有之、中には神宝体之品有、是全天照大神の給物として、隼人祭主にて当村清江奉安鎮めたり。此年より五穀豊儲・魚漁豊満す」とある。(「千葉県神社名鑑」より)
「市原郡誌」による青柳若宮八幡神社の由緒
祭神は大鷦鷯命にして、相殿に武内宿彌と木兎宿彌とを祀る。其の由緒は人皇五十七代清和天皇貞観七年酉年(皇紀二五一五年)本村に鎮座社傳に曰、元徳元年己巳(皇紀一九八九年)大旱春より夏に至つて猶ほ雨なし土人耕耘の術なきを悩惱み相謀て雨を本社に禱らんとして、海口に出でて身潔し、丹心祈誓す、忽ち波上に一物の浮ぶあり、漂蕩波に随て寄来るを見るに一箇の御樋代(御樋代は神靈を納むる器なり)なり。表面に若宮八幡大神と記し、中に神鏡一面と龍の頭に似たる物とあり。是に於て衆人大に喜び偏に至誠神に通じて此の靈驗を来すなる可しと、即ち其の御樋代を海岸の清地に安置し、誠敬を盡して雨を祈りしに、油然として雲起り沛然として雨降ること三日、田圃ために潤澤し秋収収完きを得たり、後この神物を本社内陣に遷座すと云ふ(現に今神璽として崇敬する所これなり)。本村戸數二百餘戸總て海に沿ふが故に。船舶の業に從事するもの其の半を過ぐ。又村の中間をきつて海に注ぐ一河あり。地勢略々湊の姿をなせり、故に房總の魚客等此に入て風潮の難を避け、或は碇泊するもの多し。然れども一も覆沒の難に遇へるを聴かず。これ本社の威徳に依る所なりと云ふ、祭日六月初酉日(明治六年以降七月廿日とす)神輿海濱へ渡御供奉の社人十名あり、其の式最も整粛なり。渡御終て庭前に於て相撲興行を例とす。(市原郡教育會編纂「市原郡誌」より)
「市原市史」による青柳若宮八幡神社の由緒
貞観七年(八六五)鎮座と伝えている。手水石(享保十九年<一七三四>正月造立)狛犬(弘化五年<一八四八>正月造立)石灯篭(嘉永二年<一八四九>四月造立)大けやきあり。社殿は昭和五十五年再建。(「市原市史」より)
青柳若宮八幡神社の周辺図