青柳八雲神社|市原市青柳の神社
青柳八雲神社の概要
青柳八雲神社は、市原市青柳にある神社です。青柳八雲神社は、天禄元年(970)に牛頭天王宮と称して鎮座したと伝えられ、明治3年八雲神社と改称したといいます。
社号 | 八雲神社 |
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祭神 | 建速須佐之男命 |
相殿 | - |
境内社 | - |
例祭日 | 7月21日 |
住所 | 市原市青柳2059 |
備考 | - |
青柳八雲神社の由緒
青柳八雲神社は、天禄元年(970)に牛頭天王宮と称して鎮座したと伝えられ、明治3年八雲神社と改称したといいます。
「千葉県神社名鑑」による青柳八雲神社の由緒
第六四代円融天皇天禄元年六月当地に鎮座。牛頭天王宮と称し、明治三年八雲神社と改称する。社記に「此地一派の大河より水土乾かず。産物殖せず。空漠川原たり。土人神の多大の冥助を得て此土を繁殖せんと議定し、建速須佐之男命を祀る。牛頭天王宮と称し、爾来御神徳を蒙り、土地潤沢して、民産大いに開けたり」と伝う。
明治八年、天王川原という地名を廃し、青柳村と合併。明治一二年春本殿・拝殿を造営する。(千葉県神社名鑑」より)
「市原郡誌」による青柳八雲神社の由緒
祭神は健速須佐之男命にして青柳村字天王にあり。其の由緒は人皇六十五代圓融天皇天禄元年六月(皇紀一六三〇年)本村に鎮座すと傳ふ。上古此地に一派の大河あり水土乾かず産物殖産せず空漠の川原たり。土人神霊の加護を得て斯土を繁殖せんと議定て而して祭るに健速須佐之男命を以てす。牛頭天王宮と稱す、尋て其祭事を修す。爾来威應あるが如く。土地潤澤して民産大に開けりと云ふ。例祭六月十四日神輿海濱へ渡御あり。明治三年公布を奉じて八雲神社と改稱。明治八年天王川原の村名を廢して青柳村と合す。明治十二年春本殿拝殿俱に新に造營す。これ氏子一同の至誠に出でしと云ふ。(市原郡教育會編纂「市原郡誌」より)
「市原市史」による青柳八雲神社の由緒
天禄元年(九七〇)鎮座、始め牛頭天王宮といい明治三年(一八七〇)改名したという。(「市原市史」より)
青柳八雲神社の周辺図