高嶋天神社|市原市古市場の神社
高嶋天神社の概要
高嶋天神社は、市原市古市場にある神社です。高嶋天神社は、千葉氏の家臣高嶋恒重が治承年間(1177-1181)に菅原道真公を祀り創建したと伝えられ、明治維新後は村社に列格していました。
社号 | 天神社 |
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祭神 | 菅原道真公 |
相殿 | - |
境内社 | 子安大明神、妙正大明神 |
例祭日 | - |
住所 | 市原市古市場116 |
備考 | - |
高嶋天神社の由緒
高嶋天神社は、千葉氏の家臣高嶋恒重が治承年間(1177-1181)に菅原道真公を祀り創建したと伝えられ、明治維新後は村社に列格していました。
「千葉県神社名鑑」による高嶋天神社の由緒
由緒記載なし(「千葉県神社名鑑」より)
「市原郡誌」による高嶋天神社の由緒
天神社は村社にして、古市場區字宮前にあり、千葉氏の臣、高島恒重廟を造りて之を祀るよりをこる、地積百四十一坪、贈太政大臣菅原道真公を祭る、治承二年戊戌創立、毎歳九月二十五日(陰暦)例祭を行ふ、境内末社、熊野・子安・疱瘡神社あり。(市原郡教育會編纂「市原郡誌」より)
境内掲示による高嶋天神社の由緒
古市場(高嶋)天神社の由来
天神社は、天満宮、天神様とも呼ばれ、菅原道真(八四五~九〇三)をお祀りしております。道真公は平安時代の貴族で右大臣まで上りますが、政争から九州の太宰府に左遷されて現地で没しました。
道真公が亡くなった後に、平安京では雷などの天変が相次ぎました。天神社は、当時の施政者が道真公の怒りを鎮めるために、道真公を神格化し、祀ったことが始まりといわれております。また、道真公が優れた学者だったことから、天神社は「学問の神様」とも称されております。
古市場天神社の周辺は、かつては「高嶋(たかじま)」と呼ばれ、これは平安末期から鎌倉初期にかけて、千葉氏の家臣「高嶋恒重」の館があった(菊間館跡または高嶋館跡)ことからと伝えられております。恒重が治承年間(一一七七~一一八一)にこの地に神社を建立し、道真公をお祀りしたといわれております。
なお、社前にある「撫で牛の狛犬」は、神社を守るとともに、人が自分の悪いところと同じところを撫でるこtによって、治してくれると信じられております。なお、社殿左側の小宮には、子育ての神様の子安大明神、疫病退散を祈る妙正大明神(疱瘡婆々様)、熊野信仰の熊野権現が祀られております。
このような長い歴史を持つ古市場(高嶋)天神社を、学問の神様、また、地域の尊い守り神として、これからも大切に守っていきましょう。(古市場天神社氏子総代・氏子一同掲示より)
高嶋天神社の周辺図