平田大宮神社|市原市平田の神社
平田大宮神社の概要
平田大宮神社は、市原市平田にある神社です。平田大宮神社の創建年代等は不詳ながら、天平元年と記した棟札があったともいいます。「市原郡誌」では貞永元年(1232)北條氏の家臣外記靱負・出雲早水・圖書數馬等が此地に参着し奉斎したといいます。明治維新後の社格制定に際して村社に列格していました。
社号 | 大宮神社 |
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祭神 | 国常立命 |
相殿 | - |
境内社 | - |
例祭日 | 10月15日 |
住所 | 市原市平田842 |
備考 | - |
平田大宮神社の由緒
平田大宮神社の創建年代等は不詳ながら、天平元年と記した棟札があったともいいます。「市原郡誌」では貞永元年(1232)北條氏の家臣外記靱負・出雲早水・圖書數馬等が此地に参着し奉斎したといいます。明治維新後の社格制定に際して村社に列格していました。
「千葉県神社名鑑」による平田大宮神社の由緒
創建は詳らかでないが、天平元年と棟札に記す(「神社明細帳」)。本社社殿の棟札に「宝永四年八月再建」とある。(「千葉県神社名鑑」より)
「市原市史」による平田大宮神社の由緒
棟札ニ天平元年トアリ棟木ニ寶永四年八月再建トアリ(「市原市史」より)
「市原郡誌」による平田大宮神社の由緒
大宮神社<平田新田>
平田新田にありて國常立命を祭る、人皇八十六代後堀河天皇の御宇、貞永元年北條氏の家臣外記靱負・出雲早水・圖書數馬等の諸氏此地に参着し、初めて奉斎したる所なり。然るに曾て八十四代順徳帝の御宇、建保元年六月十九日三宅満之助と云へるもの熊野權現を勧請し田村右京之進なるもの山王權現を勧請したとあり、後熊野權現を熊野神社と天王權現を日枝神社と改號し、大宮神社の境内へ合併(現今大宮神社の末社たり)せられたる次第、古老に質し口碑に考へ舊記に徴する處なり、神殿の棟木には寶永四年八月一村の鎮守と書せり。(「市原郡誌」より)(市原郡教育會編纂「市原郡誌」より)
境内掲示による平田大宮神社の由緒
社伝によると、大宮神社の社名は広大な境内に由来し、鎮座は景行天皇の御代、日本武尊が御東征された折の御創建と伝えられる。
その後、治承四年(一一八〇)に源頼朝が当社に参詣し、奉幣祈願をしたという記録がある。また、小田原の北条氏が戦勝祈願のため太刀一振を奉納している。
江戸時代には開運・殖産・農業・漁業の守護の御神徳により、近隣二十八村の総鎮守として庶民の信仰を集めた。
現在の御本殿は、三間社流造りで、棟札などには江戸時代に数度にわたる改修が行われた記録が残されている。
なお、現在の拝殿は昭和三十九年の再建、平成八年には翼殿が増築された。その時、拝殿の天井に四季の絵を始めとする絵画が奉納された。(大宮神社再建記念碑より)
平田大宮神社の周辺図