磯ケ谷八幡神社|市原市磯ケ谷の神社
磯ケ谷八幡神社の概要
磯ケ谷八幡神社は、市原市磯ケ谷にある神社です。磯ケ谷八幡神社は、磯部(当地)に霊験高い社があると天武天皇の耳に入ったことから、正八幡宮の勅號及神田千町の賜券を下付し、白鳳2年(650)社殿はじめ諸殿を造営したと伝えられます。戦乱により神田など失ってしまったものの、寛永13年(1636)徳川家光(江戸幕府)より社領50石の御朱印状を受領、諸士の崇敬を集めたといいます。明治維新後の社格制定に際し明治初年村社に列格しています。
社号 | 八幡神社 |
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祭神 | 譽田別尊 |
相殿 | 息長足姫命、玉依姫命、火産靈命、大山咋命他1柱 |
境内社 | - |
例祭日 | 10月15日 |
住所 | 市原市磯ケ谷1498 |
備考 | - |
磯ケ谷八幡神社の由緒
磯ケ谷八幡神社は、磯部(当地)に霊験高い社があると天武天皇の耳に入ったことから、正八幡宮の勅號及神田千町の賜券を下付し、白鳳2年(650)社殿はじめ諸殿を造営したと伝えられます。戦乱により神田など失ってしまったものの、寛永13年(1636)徳川家光(江戸幕府)より社領50石の御朱印状を受領、諸士の崇敬を集めたといいます。明治維新後の社格制定に際し明治初年村社に列格しています。
「市原市史」による磯ケ谷八幡神社の由緒
八幡神社(磯ヶ谷)
白鳳二年(六五〇)創建という。神田千町あって社殿の美しさその比なく後戦乱に焼かれたという。現社殿は江戸中期の建立である。境内に元禄七年(一六九四)、十四年(一七〇一)造立の庚申塔と、宝暦五年(一七五五)造立聖徳太子石像と延享三年(一七四六)寄進の手水石とがある。(「市原市史」より)
「千葉県神社名鑑」による磯ケ谷八幡神社の由緒
白鳳二年の勧請。諸人の崇敬篤く諸藩士の寄進も多かったという。特に近世徳川氏の崇敬深く五〇石の御朱印地を賜わった。明治の初年村社に列せられ、その後幣帛供進指定神社となる。(「千葉県神社名鑑」より)
「市原郡誌」による磯ケ谷八幡神社の由緒
天武天皇白鳳二年(皇紀一三三三年)磯部の里(現今の磯ヶ谷)に靈驗あり、天皇これを聞召し、正八幡宮の勅號及神田千町の賜券を授け給ひ、本社・末社・玉橋・總門・樓門・中門・幣殿・祝詞屋・渡廊・瑞垣其他小館多く鳥居等に至る迄、善美を盡して造營せしめしが、其の後打續ける戰亂に幾度か回禄の殃に罹り、終に朱券神器等盡く灰燼となりたり。
寛永十三年(皇紀二二九六年)徳川家光の時に至り、往昔の垂跡をたづね、神地五十石の朱券を下し、茲に昔日の神威を新にしたり、其の朱印十數通萬延元年(皇紀二五二〇年)に至るまで下附せられぬ、(「市原郡誌」より)
磯ケ谷八幡神社の周辺図