養老神社|康安年間再建の伝承、天正年間再建
養老神社の概要
養老神社は、市原市松ケ島にある神社です。養老神社の創建年代等は不詳ながら、康安年間(1361)に再建したと伝えられ、天正2年(1574)にも再建したといいます。文久2年(1862)養老神社を称し、慶応2年(1866)正二位陸奥出羽按察使前権大納言有長卿より正一位養老神社の額を奉納されたといいます。
社号 | 養老神社 |
---|---|
祭神 | 大山祇命 |
相殿 | - |
境内社 | - |
例祭日 | 3月15日 |
住所 | 市原市松ケ島1 |
備考 | - |
養老神社の由緒
養老神社の創建年代等は不詳ながら、康安年間(1361)に再建したと伝えられ、天正2年(1574)にも再建したといいます。文久2年(1862)養老神社を称し、慶応2年(1866)正二位陸奥出羽按察使前権大納言有長卿より正一位養老神社の額を奉納されたといいます。
境内掲示による養老神社の由緒
本社は、上古の霊跡なり。然れども年記悠遠にして鎮座の起今詳ならず。社殿に後光厳天皇康安年中再建後に、天正二年丙戊二月社殿を新造となる。嘉永年中平田鉄胤主より堅紙の額字を奉納せらる。文久二年十二月十一日神祇官神祇伯社殿に於いて神璽を奉遷せらる副輪りあり養老神社と称す。之、氏子の祈願に出る處なり、同時資訓王より自筆の額字を奉られ副輪しあり。慶応二年三月十五日正二位陸奥出羽按察使前権大納言有長卿より正一位養老神社の額字を奉られる。家司中島右衛の添書あり。其文に曰く養老神社奉額堅紙按察使前権大納言有長卿御染毫無疑者也。明治四年六月本社拝殿新営す。(境内掲示より)
「市原市史」による養老神社の由緒
天正二年(一五七四)創建という。嘉永年中平田銕胤より額を奉納。石鳥居(嘉永元年<一八四八>正月造立)狛犬一対(弘化五年<一八四八>四月造粒)灯篭一対(嘉永元年<一八四八>六月造立)二十三夜塔(文政十一年<一八二八>四月造立願主斉藤五十治造立)大いちょうがある。(「市原市史」より)
「市原郡誌」による養老神社の由緒
市原郡千種村松ケ島字宮前にある村社にして、大山咋命を祭る、本社は上古の靈地なり、然れども年紀悠遠にして鎮座の起詳ならず、社殿は後光嚴天皇康安年中再建、天正二年二月社殿を新造となる、嘉永年中平田鐡胤主より堅紙の額字を奉納せられ文久二年十二月十一日、神祇官神祇王殿に於て神璽を奉遷せらる、副翰あり、養老神社と稱す、これ氏子の請願に出る處なり、同時資訓王より自筆の額字を奉られ副翰を存す、慶應二年三月十五日、正二位陸奥出羽按察使前権大納言有長卿より、正一位養老神社の額字を奉らる、家司中島右衛門の添書あり、其文に曰く、養老神社奉額堅紙按察使前権大納言有長卿御染毫無疑者也、明治四年六月本社拝殿幣殿俱に新營せらる。例祭七月十五日は本村海口に神輿渡御又九月九日にも祭事を行ふ。(「市原郡誌」より)
「千葉県神社名鑑」による養老神社の由緒
創建など詳らかでないが、後光厳天皇の康安年中再建、後、天正三年甲成二月社殿を新造、文久二年一二月一日神祇官神祇伯が社殿に於て神璽を奉遷し、養老神社と称す。慶応二年三月一五日、正二位陸奥出羽按察使前権大納言有長卿より正一位養老神社の額を奉納。明治四年半未六月拝殿・幣殿を新営する。(「千葉県神社名鑑」より)
養老神社の周辺図
参考資料
- 「千葉県神社名鑑」
- 「市原市史」
- 「市原郡誌」