府中日吉神社|市原市能満の神社

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府中日吉神社|市原市能満の神社

府中日吉神社の概要

府中日吉神社は、市原市能満にある神社です。府中日吉神社は、日吉大社を勧請して白鳳2年(673)に創建したと伝えられ、山王権現・日吉山王権現などと称されていました。明治12年日枝神社と改称、明治27年府中日吉神社と改称しています。府中日吉神社本殿は、千葉県有形文化財に指定されています。

府中日吉神社
府中日吉神社の概要
社号 府中日吉神社
祭神 大国主命
相殿 -
境内社 稲荷社、富士浅間・大杉大明神・熊野大権現合殿、金比羅大権現、阿波嶋大明神、道祖神、仙元大菩薩、痘神社
例祭日 4月中申日
住所 市原市能満589-2
備考 -



府中日吉神社の由緒

府中日吉神社は、日吉大社を勧請して白鳳2年(673)に創建したと伝えられ、山王権現・日吉山王権現などと称されていました。明治12年日枝神社と改称、明治27年府中日吉神社と改称しています。

「市原市史」による府中日吉神社の由緒

府中日吉神社(能満)
天武天皇のころ滋賀の日吉神社を勧請したと伝えられる。現本殿は室町末期十六世紀中期の建築と推定されている。構造は三間社流造り銅板葺である。正徳四年(一七一四)修理の棟札二枚と桟唐戸の墨書がある。本殿は県の有形文化財に指定されている。境内に杉、スタジイの巨木が数多く密生している。手水石は元禄四年(一六九一)造立、灯籠は文化十五年(一八一八)造立、庚申塔は元禄造立である。(「市原市史」より)

「千葉県神社名鑑」による府中日吉神社の由緒

社伝によると、天武天皇二年四月、近江国滋賀郡日吉神社より勧請したといわれる。本境内には巨大な杉等の樹木が聳立し聖域を示す。現本殿の建立沿革を証明する記録文書等は残っていないが、国指定史跡上総国分寺址にも近いのでかなり古い神社と考えられる。なお本殿は昭和四二年、県の有形文化財に指定されている。(「千葉県神社名鑑」より)

「市原郡誌」による府中日吉神社の由緒

府中日吉神社
大國主命
由緒未詳
社殿間數方三間
境内坪數二畝十九歩(「市原郡誌」より)


府中日吉神社所蔵の文化財

  • 府中日吉神社本殿(千葉県指定有形文化財)

府中日吉神社本殿

府中日吉神社は、江戸時代の棟札に白鳳二年(六七三)の創建と記され、滋賀県大津市の日吉大社より勧請された神社です。江戸時代には「山王権現」あるいは「日吉山王権現」と呼ばれていましたが、明治十二年に録上された「神社明細帳」には「日枝神社」として登録され、さらに同二十七年「府中日吉神社」と改名され、現在に至っています。中世能満城の一廓に造営された本社は、建立された位置及び時期からして、能満城との強い関係があったことが想定されます。
府中日吉神社本殿は、日本の神社建築の中で最も普及した三間社流造りの構造で、装飾の少ない簡素な造りで、柱の上に載る組物、庇内部の手挟、建築当初に使用された部材の工具痕(大鋸・釿)などの特徴から、室町時代の建立と考えられています。県内の神社建築でほぼ同時期の建物として、飯香岡八幡宮本殿(市内八幡)、六所神社本殿(夷隅郡大多喜町)がありますが、建築当初の部材が多く残されている点で貴重です。江戸時代以降の本社は、本殿に拝殿を加え、これを幣殿によって結んだ権現造りの形式を取っていましたが、昭和六十一年の解体修理の時に本殿と幣殿を切離し、三間社流造の当初形式に復元されました。(市原市教育委員会掲示より)

府中日吉神社の周辺図


参考資料

  • 「千葉県神社名鑑」