廿五里宇佐八幡神社|市原市廿五里の神社

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廿五里宇佐八幡神社|市原市廿五里の神社

廿五里宇佐八幡神社の概要

廿五里宇佐八幡神社は、市原市廿五里にある神社です。廿五里宇佐八幡神社は、貞観年間(859-877)に宇佐神宮を勧請して創建したと伝えられ、源頼朝が上総にのがれて再起を図った際には当社に参詣、鎌倉幕府を興してからも幣帛奉納の使者が訪れて、鎌倉と当地の距離から地名廿五里が生まれたといいます。東関東自動車道建設に伴い、平成6年隣地にあたる当地へ遷座再建しています。

廿五里宇佐八幡神社
廿五里宇佐八幡神社の概要
社号 宇佐八幡神社
祭神 譽田別尊
相殿 -
境内社 浅間大神、子安大神ほか3柱
例祭日 11月3日
住所 市原市廿五里1386
備考 -



廿五里宇佐八幡神社の由緒

廿五里宇佐八幡神社は、貞観年間(859-877)に宇佐神宮を勧請して創建したと伝えられ、源頼朝が上総にのがれて再起を図った際には当社に参詣、鎌倉幕府を興してからも幣帛奉納の使者が訪れて、鎌倉と当地の距離から地名廿五里が生まれたといいます。東関東自動車道建設に伴い、平成6年隣地にあたる当地へ遷座再建しています。

境内石碑による廿五里宇佐八幡神社の由緒

当社は貞観年中(八五九~)に大分県鎮座の宇佐神宮の御分霊誉田別命を勧請したのが初めてであり、下って治承四年(一一八〇)、源頼朝公、伊豆で挙兵、安房・上総を経て上総に進出、当地通過のとき守護神たる当社を詣で武運長久を祈願、のち鎌倉幕府を興してからも頼朝公は当社に使者を遣わして幣帛を奉り感謝の誠を捧げた。当時この地は鎌倉から隔たること廿五里を以て村名とされたと伝えられる。以来一、一〇〇年後の今日、当地に東関東自動車道千葉木更津線建設が計画され、その道路は境内を貫通するものであった。因って氏子一同相謀り、代々の氏子により守り伝えられた神社財産を減ずることは意に反することであるが、公共の為を思い止むを得ず財産処分を決議、財産減少及び変形を最小限に留めるべく代価を以て隣地を購入した。建築後百年以上を経た本殿は老朽化甚だしく、境内変形のこともあり、鎮座地を写し幣殿拝殿と共に制式に即した社殿を新築、併せて境内全域を整備、神域の尊厳護持に努めた。この事業遂行の為昭和六十一年七月建設委員会を結成、設計監理を(株)日本建築工芸設計事務所に委ね本体工事は(株)山田組が施工。平成五年七月地鎮祭、翌六年二月立柱、同年四月上棟の儀を経、工程順調に進み些かの事故無く十月中旬全工事を竣え、十月二十九日浄閤の中、御神霊を神殿に奉遷、十一月二十日鎮座奉祝祭を斎行。氏子挙げて山車巡幸・歌舞音曲等の神賑行事を奉納し完成を寿いだ。願わくは今後共末長く鎮まり座して地域の平安興隆にご加護あらんことを
平成六年十一月二十日(境内石碑より)

「千葉県神社誌」による廿五里宇佐八幡神社の由緒

貞観年中の斎祀と伝えられる。鎌倉時代、源頼朝公が本神社を崇敬し年毎に幣帛を奉り、鎌倉から使者を遣わされた。鎌倉から当所まで二五里あるところから、この地を廿五里(ついへいじ)と呼ぶようになった。代々の氏子の崇敬心篤く、現在の拝殿は昭和五一年氏子の浄財五五〇万円をもって改修した。(「千葉県神社誌」より)

「市原郡誌」による廿五里宇佐八幡神社の由緒

宇佐八幡神社
本村廿五里字八幡臺にありて譽田別尊を祀る村社なり、鎮座年紀詳ならずと雖も相傳へて貞観年中(皇紀一五一九-一五三六年)勧請する處なりと、然れども其據る所を知るに由なし、本社及び拝殿建坪二十二坪を有し華表・高麗狗・手水鉢・燈籠の石造物を有し玉垣をも廻らす、境内官有地六百四十坪を有し、地域平坦にして古松と云ふにあらざれども老松林立社前に養老川の流るゝありて神域の威を抱かしむ、境内には四社あり、廿五里區には昔より正八幡宮の二社ありて正八幡宮は宇佐八幡宮なりと、祭日は八月十五日なるも太陽暦を用ふるに至りて九月十五日を例祭日となせる目下村社の格とす。(「市原郡誌」より)


廿五里宇佐八幡神社の周辺図


参考資料

  • 「千葉県神社誌」
  • 「市原郡誌」