光明寺|市原市青柳にある新義真言宗寺院
光明寺の概要
市原市青柳にある新義真言宗寺院の光明寺は、補陀洛山菩提院と号します。光明寺は、足利義明が応永20年(1413)に開創したといい、荘厳を極めていたものの、江戸時代に津波により縁起や什宝を失ってしまったといいます。上総八十八ヶ所霊場65番、市原郡八十八ヶ所霊場65番です。
山号 | 補陀洛山 |
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院号 | 菩提院 |
寺号 | 光明寺 |
住所 | 市原市青柳1052 |
宗派 | 新義真言宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
光明寺の縁起
光明寺は、足利義明が応永20年(1413)に開創したといい、荘厳を極めていたものの、江戸時代に津波により縁起や什宝を失ってしまったといいます。
「市原郡誌」による光明寺の縁起
光明寺
青柳區内に光明寺・正福寺・永福寺の三箇寺あり、何れも新義眞言宗智山派にして其の中光明寺は寺格ありて全村各寺院中の首座を占むると云ふ、同寺は區内中央の勝地にありて、壮大なる殿堂東方に面し、道場荘嚴の美を極め、本堂は彌陀勢至観音の三體を安置せるも、作者創立開基共年代未詳なりと云ふ、住職其の他父老の言に同寺は八十年以前に大海瀟ありて、縁起重寶悉皆浚はれたりと云ふ。境内に植樟等の蓮抱以上の大木ありて、六七百年以上の星霜を經たるものと思はる、故に同寺は七百年以前の創立なりと云ふ。
法會は臨時之を行ふも、毎年舊七月二十三日大施餓法會ありて頗る盛大なりと云ふ、正福寺・永福寺は四十年来無住にして、殿堂は荒廃し、開基創立共未詳にして一も記すべきものなし。(市原郡教育會編纂「市原郡誌」より)
「全国寺院名鑑」による光明寺の縁起
応永二十年足利義明の開創。昭和三八年現堂宇建立した。(「全国寺院名鑑」より)
光明寺の周辺図
参考資料
- 「市原郡誌」
- 「全国寺院名鑑」