円満寺|市原市今富にある真言宗豊山派寺院
円満寺の概要
市原市今富にある真言宗豊山派寺院の円満寺は、今富の根本藤右衛門清胤が開基となり、円満上人が文禄3年(1594)に開山したといいます。当寺の宝篋印塔は、天文16年(1547)に造立された関西型の宝篋印塔で市原市有形文化財に指定されています。市原郡八十八ヶ所霊場20番、上総八十八ヶ所霊場20番です。
山号 | - |
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院号 | - |
寺号 | 円満寺 |
住所 | 市原市今富692 |
宗派 | 真言宗豊山派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
円満寺の縁起
円満寺は、今富の根本藤右衛門清胤が開基となり、円満上人が文禄3年(1594)に開山したといいます。
「市原市史」による円満寺の縁起
円満寺
文禄三年(一五九四)二月円満上人の開山、開基は本村の住人根本藤右衛門清胤で先祖代々の菩提のため小堂一宇建立したことによる。本尊は不動明王。元禄十二年(一六九九)根本弥五左衛門精賢が先祖の遺志をつぎ本堂、庫裡等を建立した。天文十六年今月今日在銘の宝篋印塔を所蔵。(「市原市史」より)
「市原郡誌」による円満寺の縁起
圓満寺
今富にありて、眞言宗にして、文禄三甲丙年二月、圓満上人の開山せしものにして、不動明王を本尊とす、本院は本村住根本藤右衛門平清胤なる者、先祖代々菩提の爲め、小堂一宇開基し、本尊不動明王を安置す、其後元禄十二己卯年、根本彌五左衛門平精賢なるもの、祖先精胤の遺志を繼ぎ色衣免許法流相續及び本堂庫裡等を悉く皆建立す。(市原郡教育會編纂「市原郡誌」より)
円満寺の縁起
- 円満寺石造宝篋印塔(市原市指定有形文化財)
円満寺石造宝篋印塔
宝篋印塔は、『宝篋印陀羅尼塔』を納める塔で、石造は鎌倉時代中期頃から供養塔として造立されました。関西型と関東型の二型式があり、関西型は反花座の面に区画を施さず、梵字のまわりを月輪で囲むなどの大きな特徴があります。
この塔は、最上部の相輪を喪失していますが、推定高一・七メートルの細身の中型塔です。関東では数少ない関西型の特徴を持ち、「天文十六年(一五四七)」や「阿闍梨逆修」などから、造立目的の分かる作例としtめお、非常に貴重なものです。(市原市教育委員会掲示より)
円満寺の周辺図
参考資料
- 「市原市史」
- 「市原郡誌」