明照院|市原市宮原にある真言宗豊山派寺院

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明照院|市原市宮原にある真言宗豊山派寺院

明照院の概要

市原市宮原にある真言宗豊山派寺院の明照院は、御所山薬王寺と号します。明照院は、足利政氏の四男足利義舜(龜王丸)が天文4年(1535)当地に移住、足利義舜の逝去後に、家臣が追福の為に創建したといいます。市原郡八十八ヶ所霊場13・22番、上総八十八ヶ所霊場22番です。

明照院
明照院の概要
山号 御所山
院号 明照院
寺号 薬王寺
住所 市原市宮原454
宗派 真言宗豊山派
葬儀・墓地 -
備考 -



明照院の縁起

明照院は、足利政氏の四男足利義舜(龜王丸)が天文4年(1535)当地に移住、足利義舜の逝去後に、家臣が追福の為に創建したといいます。

「市原市史」による明照院の縁起

明照院
天文四年(一五三五)足利義舜(幼名亀王丸)が本村に移住し、「宮原御所」と称したがその逝去後、同十四年(一五四五)十一月侍臣らがその追福のため本寺を開基したという。北方に御所明神があって、近世には高家の宮原氏より春秋の供物があり、住職は武運長久の護摩札を贈るならわしであったと伝えられている。足利義舜の名は正史には見当たらない。(「市原市史」より)

「市原郡誌」による明照院の縁起

薬王寺明照院
宮原にありて眞言宗なり、傳ふる所に由れば、足利古河公方、七代源政氏の四男、義舜幼名龜王丸、天文四乙未年本村へ移住して宮原御所と稱す、逝去の後(年暦不詳)侍臣相謀り、追福の爲め一宇を開基し御所山薬王寺明照院と稱す、本院の北方に義舜を葬祭せし小祠あり、御所明神と云ふ、九月二十九日を以て祭典を行ふ、徳川氏の世、高家從四位上宮原弾正大弼より春秋の供物あり、當時の住職武運長久の護摩札を贈るを以て例とす。(按ずるに、政氏は成氏の子にし古河公方第二代なり、其子高基、高基の子晴氏、晴氏の弟晴直(初名憲寛)宮原の祖となる、其孫義照、徳川家康の命により宮原氏と稱す)(市原郡教育會編纂「市原郡誌」より)


明照院の周辺図


参考資料

  • 「市原市史」
  • 「市原郡誌」