法光寺|市原市新堀にある日蓮宗寺院

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法光寺|市原市新堀にある日蓮宗寺院

法光寺の概要

市原市新堀にある日蓮宗寺院の法光寺は、四天王山と号します。法光寺は、数多くの民衆を教化した本成院日念上人が慶長2年(1597)に四天王を奉じて開山、7世日信は子弟教育に尽力したといいます。明治7年には当地に於いて新堀小学校が開校、明治16年火災により焼失したものの20世妙行院日円が再興しています。境内には甘茶の木が120株植えられ、降誕会(花まつり)では甘茶が振る舞われ、「あま茶寺」と称されています。

法光寺
法光寺の概要
山号 四天王山
院号 -
寺号 法光寺
住所 市原市新堀1317-1
宗派 日蓮宗
葬儀・墓地 -
備考 -



法光寺の縁起

法光寺は、数多くの民衆を教化した本成院日念上人が慶長2年(1597)に四天王を奉じて開山、7世日信は子弟教育に尽力したといいます。明治7年には当地に於いて新堀小学校が開校、明治16年火災により焼失したものの20世妙行院日円が再興しています。境内には甘茶の木が120株植えられ、降誕会(花まつり)では甘茶が振る舞われ、「あま茶寺」と称されています。

「市原郡誌」による法光寺の縁起

四天王山法光寺
新堀區にあり、慶長(皇紀二二五六-二二七四年)本成院日念上人天長地久國家安全萬民快樂の爲めに開基創立する所にして甲斐の國巨摩郡身延山久遠寺の末なり、爾来物換り星移りて、二百數十年宗門繁昌法燈の光赫々たりしが、當山第十九世天岳日玄の時、明治十六年十二月二十三日の夜火災を被り、百物蕩盡す、唯勧請し奉る所の三宝諸佛宗祖等の御靈像及び門のみは幸に祝融を免る、翌明治十七年高橋日圓當山二十世の傳燈を繼承し、後明治二十二年本堂庫裡を建立し稍々舊觀を復せり、是れ偏に師檀和合の結果なり、境内に安置する鬼子母神は日法上人の御作にして日本三體の御尊像なりと云ふ、當山の法會は毎年八月十四日大施餓鬼を行ふ。(「市原郡誌」より)

「日蓮宗寺院大鑑」による法光寺の縁起

慶長2(1597)年の創立。開山本成院日念。堀の内法縁。授法6万人と伝えられる江戸創成期の傑僧日念が、正法守護の四天王を奉じて法華黄金時代の一角を形成する活躍をした記念碑的寺院である。その後、7世日信は当山中興と伝えられ、簿崎には「当寮開基日信聖人」と刻まれており、また寺族墓地には法師大徳の墓石も多いことから、子弟の教育に尽力したものと思われる。明治16年、本尊・山門のみを残し全山焼失、翌17年20世妙行院日円の代に鐘楼と鬼子母神堂を建立。仏祖三宝を仮安置。22年本堂、24年庫裡を独力で建立。当時、当山は檀収は無に等しく、この時期に廃寺となった例は付近に数多いことから、日円によって当山の今日があるといってよい。三十番神堂は昭和49年新築。当山中興日円頌徳碑がある。(「日蓮宗寺院大鑑」より)


境内掲示によるあま茶寺の由来

境内の甘茶の木は百二十株、毎年この新芽が出揃う四月第三日曜日に行う「あま茶まつり」で、当山は知られています。
おシャカさまのご誕生を祝って、天の神々が香水や甘露を降らせ、産ぶ湯とされた故事にならっています。
あま茶は一〇〇%手作りの無添加でしかも糖分ゼロ、本堂のおシャカ様の頭上にかけた後で、別室で自由に飲めます。これを飲むと一年間病気をしないとされ、また毒虫除けになるといわれます。
当山は四〇〇年前に開山され、いつの頃からか「あま茶寺」と呼ばれるようになりました。(境内掲示より)

法光寺の周辺図


参考資料

  • 「市原郡誌」
  • 「日蓮宗寺院大鑑」