釋蔵院|市原市能満にある新義真言宗寺院
釋蔵院の概要
市原市能満にある新義真言宗寺院の釋蔵院は、法然山傳燈寺と号します。釋蔵院は、神亀元年(724)に創建、弘法大師空海が大同元年(808)に開基したといいます。延喜元年(901)には醍醐天皇の勅願寺とされ、慶安2年(1649)には江戸幕府より寺領8石1斗の御朱印を受領、往時には末寺36ヶ寺を擁する本寺格の寺院でした。市原郡八十八ヶ所霊場1番、新上総国三十三観音霊場31番、上総国薬師如来霊場18番です。
山号 | 法然山 |
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院号 | 釋蔵院 |
寺号 | 傳燈寺 |
住所 | 市原市能満582-1 |
宗派 | 新義真言宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
釋蔵院の縁起
釋蔵院は、神亀元年(724)に創建、弘法大師空海が大同元年(808)に開基したといいます。延喜元年(901)には醍醐天皇の勅願寺とされ、慶安2年(1649)には江戸幕府より寺領8石1斗の御朱印を受領、往時には末寺36ヶ寺を擁する本寺格の寺院でした。
「市原市史」による釋蔵院の縁起
釈蔵院(能満)
大同三年(八〇八)僧空海創建、僧都弘鑁上人が中興したという。慶安二年(一六四九)朱印高八石一斗をうける。近年火災によって堂宇一切を焼失しその後再建された。ただし天保年間造立の大師堂のみ焼失をまぬがれ現存している。(「市原市史」より)
「市原郡誌」による釋蔵院の縁起
法然山傳燈寺釋蔵院
本村字能満に在り、豊山派眞言宗にして小本寺格なり、大同三戊子年(皇紀一四六八年)の創立にして現在の本堂は享保十四年(皇紀二三八九年)の建築にして間口十一間奥行七間三尺中に不動明王の像を安置す、この像は當寺の住職弘鑁僧都の作なりと、庫裏は五間に九間にして書院は五間四面たり、寶物としては釋蔵院と書きし巻物は、寶暦十四歳甲申孟春十五日(皇紀二四二五年)眞言宗本寺東寺觀智院奏上賢賀の書其外佛堂の巻物には不動尊、知證大師御自筆、辨財天、巨勢有重の筆、荼枳尼天曼荼羅、筆者不詳、劔は劔身に梵字にて刻し柄に弘近の銘あり、外に龍、木造のものあり作者詳かならず、されども之れには傳説ありと云ふ、一尺五寸位のものなるが、盥に水を盛りこの龍を入れ水色の蚊帳を以て覆ひ雨乞をなせば降雨を見ざることなく、本院住職開演盛運盛朗、盛知の四代祈禱せしが共に豪雨を見たり、靈驗如何にあらたかを知るべしと、又鐘樓堂にある鐘は疣の無きを以て有名なり、疣なし鐘と稱す、享保二十年乙卯年十月(皇紀二三九五年)冶工佐野天明住藤原吉伴の作にして鐘銘に曰く(鐘銘省略)
地域能満區の西境市原區門前區に接したる所にあり、前面は水田背後は丘陵にして老杉雑木鬱然として生ひ茂り眺望亦可なり、四つ足門を入れば左右にあま犬高麗犬あり、左に大師堂右に鐘樓堂あり、本堂に並びて護摩堂あり、庫裡書院あり、護摩堂の裏一段高き所に清瀧權現を祭る。(市原郡教育會編纂「市原郡誌」より)
釋蔵院所蔵の文化財
- 釈蔵院文書
釈蔵院文書
釈蔵院は、かつて醍醐寺三宝院直末の有力な真言宗寺院として栄えた名刹です。釈蔵院文書はこの釈蔵院に伝来する戦国から江戸期の聖教関係を中心とする古文書群です。その中には市内最古の古文書をはじめとする、一〇二通の中世文書が含まれています。
これらの古文書は、おもに新義真言宗の内部で、秘密の教えや作法が師僧から弟子へ正しく伝授されたことを証明する文書(印信)で、中世後期の西上総地方で真言密教が広まっていった様子を知る上で、歴史的・文化的価値の高いものです。
また「上州府中之釈蔵院」と書かれた天正十年(一五八二)の文書も注目されます。中世、国府や守護所は府中と呼ばれました。「府中釈蔵院」という名称は、幕末に引田出身の国学者立野良道が唱えた能満国府説の重要な根拠となりました。(市原市教育委員会掲示より)
釋蔵院の周辺図
参考資料
- 「市原郡誌」
- 「全国寺院名鑑」