信楽山無量寺|白鳳年間(672-685)に海中出現の阿弥陀如来像を奉安
無量寺の概要
市原市八幡にある浄土宗寺院の無量寺は、信楽山寳樹院と号します。無量寺は、寳樹坊が白鳳年間(672-685)に荒海から出現した阿弥陀如来像を奉安して創始したと伝えられ、寛平2年(890)に平高望王が、父高見王の菩提を弔うために堂宇を建立、その後当地へ移転したといいます。源蓮社静譽宗休大徳が中興開山、天蓮社晃譽上人達道和尚(弘治元年1555年寂)が再中興開山しています。
山号 | 信楽山 |
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院号 | 寳樹院 |
寺号 | 無量寺 |
本尊 | 阿弥陀如来像 |
住所 | 市原市八幡29-5 |
宗派 | 浄土宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
無量寺の縁起
無量寺は、寳樹坊が白鳳年間(672-685)に荒海から出現した阿弥陀如来像を奉安して創始したと伝えられ、寛平2年(890)に平高望王が、父高見王の菩提を弔うために堂宇を建立、その後当地へ移転したといいます。源蓮社静譽宗休大徳が中興開山、天蓮社晃譽上人達道和尚(弘治元年1555年寂)が再中興開山しています。
「市原市史」による無量寺の縁起
大厳寺の末寺、白鳳元年の創建、本尊は海中出現の阿弥陀如来という。寛文五年(一六六五)十月造立の聖観音(光背型石造)がある。墓地にある三基の五輪塔は千葉康胤とその一族の墓と伝えられている。(「市原市史」より)
「千葉県浄土宗寺院誌」による無量寺の縁起
白鳳元年三月一五日、この地の漁船が八幡浦で難風に遭ったとき、荒れる海中より出現した阿弥陀仏像を、船にお載せして漁夫たちの村・石塚村へ帰り、村の南方、清水という芝原に草庵を結んでいた寳樹坊と呼ぶ僧に祭祀を託し、安置したのが寺の創めと伝える。
寛平二年に平高望王が、父・高見王のために堂宇を建立し、その後、現在地へ移転した。(旧地は古屋敷と称したといわれる)また、弘安の頃、千葉宗胤が本尊仏を寄進している。(「千葉県浄土宗寺院誌」より)
無量寺所蔵の文化財
- 千葉家之墓
無量寺の周辺図
参考資料
- 「市原市史」
- 「千葉県浄土宗寺院誌」