正覚院|市原市山田にある真言宗豊山派寺院
正覚院の概要
市原市山田にある真言宗豊山派寺院の正覚院は、神光山慈眼寺と号します。正覚院の創建年代等は不詳ながら、室町時代の創建と推定され、本尊薬師如来は、江戸時代中期に疫病が流行した際、阿弥陀如来に替えて奉安したと伝えられています。明治維新後の学制発布に際し、明治5年山田小学校が当寺に開校しています。市原郡八十八ヶ所霊場25番です。
山号 | 神光山 |
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院号 | 正覚院 |
寺号 | 慈眼寺 |
住所 | 市原市山田290 |
宗派 | 真言宗豊山派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
正覚院の縁起
正覚院の創建年代等は不詳ながら、室町時代の創建と推定され、本尊薬師如来は、江戸時代中期に疫病が流行した際、阿弥陀如来に替えて奉安したと伝えられています。明治維新後の学制発布に際し、明治5年山田小学校が当寺に開校しています。
境内石碑による正覚院の縁起
神光山正覺院慈眼寺建立記念碑
正覺院の創建は、墓石銘や仏像等より室町時代と推測され、御本尊は「薬師如来」立像を安置している。本来は「阿弥陀如来」だが、江戸時代中期この地に疫病が蔓延した折、御本尊に据えたという言い伝えがある。「市原郡八十八ヵ所の第二十五番札所」でもある。
旧本堂は江戸時代後期、享和三年(一八〇三)に建立。明治五年、新政府の「学制」制定により本寺に山田小学校が開校され、教育の場として貢献した。
関東大震災後に修復され、昭和四十五年には茅葺きが瓦葺きに改修される。平成二十三年、東日本大震災を通して老朽化の問題が生じ新築の機運が高まった。平成二十八年七月、檀家会議での合意により建設委員会が発足した。
金子住職を初め檀家各位の誠なる浄財の御奉賛を受け、平成二十九年六月三十日に地鎮祭、八月二十六日に上棟式を行い、地元職人の匠の技を尽くした佳麗な本堂の完成に至る。併せて、甚く損傷していた御本尊・両大師の復元修復、及び宝前荘仏具の新調、境内や墓地を整備し、平成三十年(二〇一八)五月吉祥日、盛大な落慶法要を行い大願成就した。
以て、檀家一同の護持信仰の発揚を思い、ここに記念碑を建立する。(境内石碑より)
正覚院の周辺図
参考資料
- 「市原郡誌」