満徳寺|市原市八幡にある真言宗豊山派寺院
満徳寺の概要
市原市八幡にある真言宗豊山派寺院の満徳寺は、地福山と号します。満徳寺の創建年代等は不詳ながら、かつては飯香岡八幡宮の別当と勤めていたといいます。八幡公方足利義明(小弓公方)夫妻の遺骸を葬った霊応寺(新墓堂)を合寺しています。上総八十八ヶ所霊場79番、市原郡八十八ヶ所霊場79番です。
山号 | 地福山 |
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院号 | - |
寺号 | 満徳寺 |
住所 | 市原市八幡1086-1 |
宗派 | 真言宗豊山派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
満徳寺の縁起
満徳寺の創建年代等は不詳ながら、かつては飯香岡八幡宮の別当と勤めていたといいます。八幡公方足利義明(小弓公方)夫妻の遺骸を葬った霊応寺(新墓堂)を合寺しています。
境内石碑による満徳寺の縁起
新墓堂の由来
八幡公方足利義明(小弓公方)は、天文七年(一五三八年)第一次国府台合戦で、北條軍に敗れ戦死、遺骸は家臣によっていったん小弓御所(千葉市中央区生実町)に運ばれ、小弓御所で自刃した夫人の遺骸とともに、八幡の霊応寺(八幡宮の別当寺で御朱印地一五〇石のちに満徳寺が寺格をうける)の境内に葬られやがて五輪塔が建てられ、家臣は墓のそばに御堂を建て夫妻の像を祀りその冥福を祈ったことから、このあたりを新墓堂と呼んだという。(境内石碑より)
「市原郡誌」による満徳寺の縁起
満徳寺
大日如来
不詳
八幡字片町(市原郡教育會編纂「市原郡誌」より)
満徳寺の周辺図