宮久保白幡神社|市川市宮久保の神社
宮久保白幡神社の概要
宮久保白幡神社は、市川市宮久保にある神社です。宮久保白幡神社の創建年代等は不詳ながら、往古は八幡宮と称し文明18年(1485)には再建された記録が残る古社です。一説には、当地にはかつて葛飾八幡宮が鎮座していたものの、海退による陸地化の進展に伴って遷座したともいわれます。大正7年に八幡神社(譽田別命)、白幡神社(武内宿祢)、天満天神社(菅原道真)をはじめ、諸社を合祀、白幡神社と改めています。
社号 | 白幡神社 |
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祭神 | 武内宿祢、譽田別命、天満天神 |
相殿 | - |
境内社 | 弁財天、諏訪大明神、日枝大社、天照大神、妙正大明神、大明神、稲荷大明神 |
住所 | 千葉県市川市宮久保4-2-4 |
祭日 | 10月20日 |
備考 | - |
宮久保白幡神社の由緒
宮久保白幡神社の創建年代等は不詳ながら、往古は八幡宮と称し文明18年(1485)には再建された記録が残る古社です。一説には、当地にはかつて葛飾八幡宮が鎮座していたものの、海退による陸地化の進展に伴って遷座したともいわれます。大正7年に八幡神社(譽田別命)、白幡神社(武内宿祢)、天満天神社(菅原道真)をはじめ、諸社を合祀、白幡神社と改めています。
千葉県神社名鑑による宮久保白幡神社の由緒
文明一八年(一四八五)再建の記録を有する古社である。台地に位置する境内には、袖掛松といわれる老樹(現在は三代目)があり、市川市の観光名所の一つになっている。その根元には、文安五年(一四四八)の信楽禅門の碑があり、里人はこの碑を「信楽様」と称し、多くの参詣人を集めている。また古書によると、当社は八幡神社とあり、「葛飾八幡神社あたりは、天慶年間には海え、そのころ沿海地たりし宮久保にありしを、その後新陸地(今の八幡)に遷座し奉れるものなどと見ゆ」との記述が認められ、いい伝えられている。なお、境内社の諏訪神社はいつの日からか、婦人病に霊験ありとされ、今日でも多くの婦人達の信仰を集めており、沢山の「カメ」の奉納が認められる。(千葉県神社名鑑より)
境内石碑による宮久保白幡神社の由緒
白幡神社は、古書によると元は八幡宮として記され、誉田別命、武内宿祢、天満天神を御祭神として奉祀する社である。郷の古老達が、今でも御当社を八幡様と呼んでいるのは、この所以である。創建は文明十八年以前のものと伝えられる古社である。(境内石碑より抜粋)
「千葉縣東葛飾郡誌」による宮久保白幡神社の由緒
八幡町誌
八幡神社、宮久保にあり、譽田別命を祀る、文明十八年以前の創立にかかゝる、境内に袖掛松と稱するものあり、現存するものは其の第二代なりと、其下に文安五年八月十三日信楽禅門と鐫刻したる碑あり、里人は此の碑を信楽様と稱し参詣するもの多し。(「千葉縣東葛飾郡誌」より)
宮久保白幡神社の周辺図