親縁山了善寺|行徳・浦安観音霊場三十三ヵ所
了善寺の概要
市川市相之川にある浄土宗本願寺派寺院の了善寺は、親縁山と号します。了善寺は、吉田佐太郎(慈縁)が蓮如上人に帰依して創建したといいます。行徳・浦安観音霊場三十三ヵ所26番札所です。
山号 | 親縁山 |
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院号 | - |
寺号 | 了善寺 |
本尊 | 阿弥陀如来像 |
住所 | 市川市相之川2-12-28 |
宗派 | 浄土宗本願寺派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | 和光幼稚園併設 行徳・浦安観音霊場三十三ヵ所26番 |
了善寺の縁起
了善寺は、吉田佐太郎(慈縁)が蓮如上人に帰依して創建したといいます。吉田佐太郎の八代前の吉田源五左エ門は鎌田(江戸川区江戸川)に住んでいた頃、親鸞聖人が滞在、自身の影像を彫刻し残されたと伝えられているといいます。
境内掲示による了善寺の縁起
親縁山了善寺
応仁二年(1468年)、吉田佐太郎(慈縁)が浄土真宗宗祖・親鸞聖人より八代目の蓮如上人に帰依し、建立。佐太郎より八代前吉田源五左エ門が下総の鎌田に住す頃、関東常陸より京都に帰る親鸞聖人がしばらく滞在された。その後聖人が帰洛を思い立ち名残を惜しむ源五左エ門等に自らの影像を刻みお残しになったといわれる。(その御影は現在香川県の善通寺親鸞堂に御安置されている)(境内掲示より)
了善寺所蔵の文化財
袈裟掛けの松は、親鸞聖人御逗留の際、袈裟を掛けたという松で、同様の言い伝えが江戸川区江戸川(鎌田)の天川山明福寺にも残されています。
- 袈裟掛けの松
了善寺の周辺図
参考資料
- 「市川市内の寺院明細帳」