飯澤山浄閑寺|行徳・浦安観音霊場三十三ヵ所
浄閑寺の概要
市川市本行徳にある浄土宗寺院の浄閑寺は、飯澤山と号します。浄閑寺は、元亀年間(1570-1573)頃より観音堂のあった当地に、酉蓮社鎮譽一公上人が寛永3年(1626)に開基したといいます。行徳・浦安観音霊場三十三ヵ所15番札所です。
山号 | 飯澤山 |
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院号 | - |
寺号 | 浄閑寺 |
住所 | 市川市本行徳23-34 |
宗派 | 浄土宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
浄閑寺の縁起
浄閑寺は、元亀年間(1570-1573)頃より観音堂のあった当地に、酉蓮社鎮譽一公上人が寛永3年(1626)に開基したといいます。
境内掲示による浄閑寺の縁起
当山は東京・芝、浄土宗大本山増上寺の末寺である。現在、寺領地になっている土地には、元亀(一五七〇~一五七三)年中より当地の武士某の信仰する観音堂があり、その添地であったところに、寛永三寅年(一六二六)、西蓮社鎮譽一公上人が開基された。爾来、今日に至るまでには、火災、津波等災害に会うこと両三度の記録があり、大いに荒廃した時期もあったが、よく檀信徒の協力により復興し、昭和六十三年には本堂をそれまでの木造から鉄筋コンクリートへと改築し現在に至っている。(境内掲示より)
「千葉県浄土宗寺院誌」による浄閑寺の縁起
当山は大本山・芝増上寺の末寺であり、現在寺有地になっている土地には、元亀年中より、当地の武士某の信仰する観音堂があり、その添地であったところに、寛永三寅年(一六二六)、酉蓮社鎮譽一公上人が開基された。当時の状況を示す文書によれば、「前略…寛永三寅年 鎮譽一公和尚代、御支配御代官、伊奈半一郎殿、行徳領不残御検地御縄入の砌、観音堂敷地並ニ寺敷地其外大藪抱地不残大門弐間幅通り御通り縄御免、御除地に被成下置難有仕合に奉存、云々」とあり。爾来、今日に至る三五五年間には、火災、津波(一八五六)等災害に会うこと両三度の記録があり、大いに荒廃した時期もあったが、よく檀信徒の協力により復興して現在に及んでいる。(「千葉県浄土宗寺院誌」より)
「市川市内の寺院明細帳」による浄閑寺の縁起
寛永三丙寅年創立宗祖円光大師法孫分派開祖鎮西上人法孫鎮誉一公ノ開基(「市川市内の寺院明細帳」より)
浄閑寺の周辺図
参考資料
- 「千葉県浄土宗寺院誌」
- 「市川市内の寺院明細帳」