今島山唱行寺|太鼓の霊場
唱行寺の概要
市川市柏井町にある日蓮宗寺院の唱行寺は、今島山と号します。唱行寺は、念仏僧鐘阿彌が建長6年(1254)日蓮上人に帰依、日蓮上人より首題坊日唱の法名を授与されて、当寺を開山しました。江戸時代に火災に罹災、法田河原から当地へ移転しています。首題坊日唱は、日蓮上人の許可を得て題目唱行に鐘鼓でなく太鼓を用いたことから、「太鼓の霊場」と称されています。
山号 | 今島山 |
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院号 | - |
寺号 | 唱行寺 |
本尊 | 一塔両尊四士 |
住所 | 市川市柏井町1-1696 |
宗派 | 日蓮宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
唱行寺の縁起
唱行寺は、念仏僧鐘阿彌が建長6年(1254)日蓮上人に帰依、日蓮上人より首題坊日唱の法名を授与されて、当寺を開山しました。江戸時代に火災に罹災、法田河原から当地へ移転しています。首題坊日唱は、日蓮上人の許可を得て題目唱行に鐘鼓でなく太鼓を用いたことから、「太鼓の霊場」と称されています。
「日蓮宗寺院大鑑」による唱行寺の縁起
建長6(1254)年の創立。開山首題坊日唱。開基日恵。達師法縁。建長6年に鐘阿弥が念仏宗より改宗した。徳川時代に火災に遭い法田河原より現在地に移転。5世日正は佐賀県観照院開山、7世日心は船橋行法寺・本行寺開基。(大観には開山宗祖、開基日唱、建長6年2月28日の創立とある)(「日蓮宗寺院大鑑」より)
境内掲示による唱行寺の縁起
唱行寺と日蓮坐像
唱行寺の建つ地域は「今島田」と呼ばれ、この地にいた念仏僧鐘阿彌が、建長六年(一二五四)、日蓮聖人に帰依して改宗し、日蓮から首題坊日唱の法号を戴いて建立したのが、今島山唱行寺の起こりと伝えられています。
また日唱は、それまで使用していた鐘鼓を捨て、日蓮の許しを得て題目唱行に初めて太鼓を用いたので、当寺を「太鼓の霊場」と呼び、鐘鼓を埋めた場所が「鐘鼓塚」として境内に残っています。
当寺の祖師象は、日蓮の弟子日法の作と伝え、その姿は袈裟をかけ、右手に笏、左手に経巻を持った一般的な日蓮坐像です。総高三八cm、肩幅二四cm、裾張り四五cmの寄木造り、玉眼で簡素な彫りですが、重みのある本格的な肖像彫刻といえます。昭和三六年九月一八日、「木彫日蓮坐像」として市川市有形文化財の指定を受けました。
この像は、明応八年(一四九九)・元禄三年(一六九〇)・昭和一六年(一九四一)に修理された記録が残されていますが、平成二年には解体修理をおこないました。
さて、柏井周辺は元禄一三年(一七〇〇)までは、「忠臣蔵」で知られた梶川与惣兵衛の知行地でした。
境内には与惣兵衛の祖父母の墳墓や、また与惣兵衛の遺品などが寺宝として残されています。(市川市教育委員会掲示より)
唱行寺の周辺図
参考資料
- 「日蓮宗寺院大鑑」
- 「市川市内の寺院明細帳」
- 「千葉縣東葛飾郡誌」